No.1764 早稲田実業、海城、洗足学園は要注意!『海のほとりのプラネット』義井優

amazon『海のほとりのプラネット』義井優(新潮社) 

 本作品には、鎌倉を舞台に、大切な存在を亡くした悲しみや、家族の中での孤独感といった様々な心の痛みを抱える人物の姿を描いた6編の短編が収録されています。ある短編に出てきた人物が別の短編で主人公となったり、重要人物として登場するといった、連作短編の構成になっています。筆者の義井優氏は本作品がデビュー作となります。

 今回ご紹介する1編目の『ゴーヤとチーズの精霊馬』は、母親を亡くしてから外の世界との交流を断っていた主人公の女性が、「離婚して家を出た父親の再婚相手の娘」という少し複雑な間柄にある少女と出会い、ともに過ごす時間を経て、再生のきっかけを得て行く過程が描き込まれています。

 中学受験物語文で頻出の「他者とのつながりを経て自己理解を深める」という重要テーマが、淡々としながらも人物たちの心の痛みが静かに深く読み手の心に沁み通るような丁寧な筆致で描かれた本短編は、男子校・女子校・共学校を問わず、上位校から最難関校まで多くの学校で出題されることが予想されます。

【出題が予想される箇所】
P.17の11行目からP.37の7行目

 第1編『ゴーヤとチーズの精霊馬』の一部です。

 半年前に母親を亡くした希帆(きほ)という二十代の女性が、離婚して家を出た父親の再婚相手の娘である十二歳の少女、穂乃花(ほのか)と過ごす時間が描写された場面です。

 淡々と、それでいて十二歳とは思えない手さばきで家事をこなし、どこか達観した言葉を発する穂乃花の言動に驚き、戸惑っていた希帆が、穂乃花もまた大事な人を亡くしたことを知り、次第に穂乃花との間に心のつながりを深めて行く過程が描かれています。

 母親を亡くした希帆がどのような心持ちでいたのか、穂乃花と過ごす時間の中で、希帆が何をきっかけとして一歩踏み出す意志を持ち得たのかを、正確に読み取って行きましょう。

【ここがポイント】

 本短編『ゴーヤとチーズの精霊馬』では、母親の死から、外の世界との交流を断ち、時間が止まったような感覚にいる希帆が、父親の再婚相手の娘である穂乃花との出会いを機に、深い痛みの時間から一歩踏み出すきっかけを得る様子が描かれていますが、希帆の心境の変化と、そのきっかけとなる穂乃花との関係の変化をいかに正しく読み取るかがポイントとなります。

 母親を亡くした希帆は、自らの状況を「喪中」と表現し、以下のようにも表しています。

薄暗くなってくる夕方、誰もいない居間に一人きりでいると本当に留守番している子供のような気分に陥る。四角い笠の付いた電気から垂れ下がる紐を見上げながら、「子供おばさん」という単語がよく頭に浮かんだ。(P.18の15~17行目)

 亡くなってしまった母親が、それでもいつか帰ってくる、その留守番をしているような気分に陥り、自分自身を「子供おばさん」と称する希帆の姿に、母親の死を受け入れられないでいる喪失感と孤独感が強く感じられます。

 そんな希帆のもとを訪れた穂乃花ですが、自作の割烹着を身にまとい、「ポピュラーな手法とは言い難い(P.23の1行目)」古風なやり方で希帆の住む古い家の掃除を始め、希帆を唖然とさせます。
 
 掃除にとどまらず、手慣れた段取りで絶品の料理をも作り上げる穂乃花の姿に、希帆は以下のような印象を抱きます。

真剣な顔で、箒で畳の縁の埃を取り除こうとしている顔は自由研究に取り組む子供というより、掃除もベテランの域に達したおばさんのようだった。おばさん子供だ、とその横顔を盗み見ながら思った。(P.23の13~15行目)

 「子供おばさん」である希帆と「おばさん子供」である穂乃花。この二人のやりとりは、穂乃花が大人びていることもあって、淡々としていて、思いのたけをぶつけ合うような劇的な展開は一切見られません。

 希帆が発した何気ない一言で穂乃花が態度を硬直させてしまった場面でも、希帆は「血の繋がらない義理の妹とはいえ、そんなに頻繁に会う機会もないだろうし、明日には帰るんだし。(P.27の13~14行目)」として、あえて関係を修復しようとはしません。

 淡々と一定の距離感を保ったままでいた二人の関係に変化が生まれたのは、穂乃花に家事を教えたのが祖母であり、その祖母が希帆の父親ではなく実の父親の母親であること、そしてその祖母が一年前に亡くなってしまったことを希帆が知ったところからでした。

 二人ともに親族を亡くして新盆を迎えたことから、穂乃花の申し出で精霊馬(しょうりょううま:先祖の霊があの世と現世を往来しやすくするために作られるお供え物)を作ることになるのですが、本来であればナスときゅうりで作るところ、そのどちらもがないため、代用としてゴーヤとチーズ蒸しパンで作ることになります。

 この代用の精霊馬を見つめる穂乃花を目にした希帆の様子が、以下のような描写で表されています。

ようやく四本の足で立ったゴーヤと蒸しパンに目を輝かせた義妹を見ながら考える。(P.30の5~6行目)

 ここでの「義妹」という言葉には、先に挙げた箇所での「血の繋がらない義理の妹」と同じ内容でありながら、希帆の心情、二人の心の距離感の違いが感じられます。大切な人を亡くした喪失感を共有する者どうしだからこその心のつながりを、希帆が穂乃花に感じていると読み取ることができるのです。

 そして精霊馬を作った夜、二人は盆提灯を点けた部屋で一緒に寝ることにしたのですが、暗闇の中を回る盆提灯の光を見ているうちに、希帆の心に母親が帰らぬ人となってしまった事実を認めざるを得なくなったことによる、激しい心の痛みが押し寄せてきてしまいます。

 「体の中心を刃物で貫かれるような痛み(P.32の7行目)」に苦しむ希帆を救い出したのは穂乃花の存在でした。希帆に寄り添うでも励ますでもなく、まさに「おばさん子供」ならではの大人びた言動と、それとはアンバランスな子供らしさに満ちた動きをする穂乃花の姿を見て、希帆の心が静かに、温かく癒されて行くのです。

 この夜を経たからこそ、翌朝に二人が交わす、それぞれに見た「夢」についての会話が、読み手の心の奥底に深く、そして温かく浸透して行きます。

 希帆が深い孤独の闇から抜け出すきっかけを得られたのも、互いに深く知り合う「友人」や「家族」でもなく、かといって全くの他人でもない。無理に寄り添われることも、干渉されることもない絶妙な距離感にあって、それでも、大事な人を亡くした喪失感と孤独感を共有している穂乃花の存在があったからと読み取ることができます。

 そして本短編のタイトルにもなっている「ゴーヤとチーズの精霊馬」が、本来のナスときゅうりの代用という、既成のものではないところに、希帆と穂乃花の、友人でも家族(義姉妹ですが)でもない、既成の枠組みには収まらない関係を、象徴的に表していると強く感じられるのです。

 中学受験の物語文では、本短編での希帆のような、絶妙な距離感にある存在との心の交流を経て成長、再生して行く人物の姿が問題対象となることが多くあります。「友人でも家族でもない他者との心の交流を経て自己理解を深める」という重要テーマを温かく静かな筆致で深く描き込んだ傑作短編です。

 本短編以外にも、夫や娘との関係悪化に悩む女性が、サーフィンの世界で挫折を味わった若い女性との出会いを機に、自らの生き方、家族との関係に向き合い直す過程が描かれた『晴れ時々、曇天娘』など、本作品には日常の誰にでも起こり得るような出来事に心を乱された人物が再生の道をたどる姿が丁寧に描き込まれた短編が収録されています。6年生はもちろん、読書好きな5年生にもぜひとも読んで頂きたい一冊です。

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