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今や中学受験生必見のNHK『ブラタモリ』。近年の中学入試では社会入試問題の作成担当の先生が『ブラタモリ』を見てインスパイアされたと思われるような問題が出題されています。そこで鉄人会では『ブラタモリ』で紹介された知識の中で、中学受験生にぜひ覚えておいて欲しいものをクイズ形式で整理していきます。今回は4月1日に放送された汐留編です。
超高層ビルが立ち並ぶ日本屈指のビジネス街として有名な東京・汐留。その汐留は江戸時代から現代にいたるまで「フロンティア(最先端・最前線)」であり続けている場所なのです。汐留の地名の由来ともなった、徳川家康による大規模な水道工事の方法とは?江戸の大名たちが行った最先端の湾岸開発とは?江戸時代に浜離宮恩賜庭園の訪問客を魅了した驚きの造園技術とは?海を埋め立ててつくられた汐留だからこそ見られる最先端の都市開発の歴史をたどって行きましょう。
1995年に始まった汐留の再開発は、官民一体となった国内最大級のプロジェクトとして話題を集めました。再開発によって誕生した汐留エリアの高層ビル群には、現在ではテレビ局や航空会社など日本の名だたる企業が入っています。
そんな汐留ですが、かつてこの場所には国内の貨物輸送の拠点である「汐留駅」がありました。1914年に旧新橋駅が貨物専用となり、汐留駅に改称したものです。汐留駅は1986年に廃止となりました。
柳は水に浸かっても枯れたりしないので、その特性を活かして現在でも「柳枝行(りゅうしこう)」と呼ばれる柳を川岸に植える治水方法があります。
汐留川にかかっていた橋のひとつに「新橋」があり、それが現在の東京・新橋の地名の発祥と言われています。新橋の一部であった柱は今も橋の名残として残されています。
川の跡地は住所不定の「無番地(むばんち)」とされています。もともと川があった場所には住所はありませんでしたが、戦後に川が埋め立てられて商業施設が建てられても、住所は決められていないままです。
ホテルは廊下をはさんで両側に部屋がある構造のため、奥行きを必要としません。細い敷地にホテルを建てるのは有効な土地利用なのです。
「溜池」は徳川家康によって人工的に作られた池でした。家康が江戸に入った16世紀末、江戸にはわずかな飲料水しかなく、江戸に住む人々が暮らすには足りませんでした。そこで家康はもともとあった川をせき止めて溜池を作り、江戸で初めての水道を整備したのです。溜池を作るために、家康は堰(様々な用途の水を川からとるために、河川を横断して水位を制御する施設)をつくりました。かつて堰があった場所を埋めた場所が、現在土地が高く盛り上がっているところなのです。
この堰は水を貯めるためだけでなく、海からの塩水が溜池に入らない目的でも使われていました。まさに「汐留(しおどめ)」をしていたのです。そこで汐留という地名が、溜池から流れる川や、橋につけられ、その後明治になると下流の町の名前にもなりました。汐留の地名の由来は江戸時代の町づくりの最前線と深く関わっていたのです。
江戸時代に現在の汐留地域にあった大名屋敷は、屋敷1つで東京ドーム2個分もある広大な地域でした。幕府は大名たちに屋敷を建てる土地の権利は与えましたが、埋め立て工事については大名たち自身に行わせました。もともと海であった地域に広大な大名屋敷を建てるために、大名たちは自ら湾岸開発を進めたのでした。
潮の満ち引きがある海を埋め立てるのに、ただ土を入れるだけでは、引き潮と一緒に土も流されてしまいます。そこで竹を何本も編み込んだ杭を打つことで区画を作り、その中に土砂を入れて行きました。竹のすき間から水は流れますが、土は流れずに残る仕組みです。こうして大名たちは技術を駆使して、少しずつ土地を増設したのでした。この竹の編み込みを「柵(しがらみ)」と呼びます。柵のすき間に貝が入り込むことで、土の流出をさらに防ぐ効果があったと言われています。汐留地域を発掘した際に、大量の柵が発見されました。江戸の町が海に向って拡大するための「埋め立ての最前線」となったのが汐留だったのです。
現在の浜離宮恩賜庭園のある場所は、かつては将軍たちが鷹狩りを楽しむ湿原でした。その後、埋め立て地はさらに海に向って広がり、そこに建設されたのが現在の浜離宮恩賜庭園です。
その他にも、門から道を進んだところに「むくり」と呼ばれる土塁で土を盛り上げた場所があり、庭の全景が見えないような細工もなされていました。
浜御殿の庭の中心には大きな池があり、その周りを歩きながら景観を楽しむ「回遊式庭園」となっています。その大きな池を作るのに必要な大量の水には海水が使われていました。海水を池に取り入れる「潮入(しおいり)」という当時最新の造園技法が使われていたのです。海を埋め立ててできた浜御殿だからこそ、この潮入の技法を使えたのでした。池の水は潮の満ち引きで循環することで常に綺麗に保たれ、さらに景観の変化も楽しめるといった効果があり、最先端の造園技法が使われた浜御殿は、まさに「庭園のフロンティア」だったのです。
当時の京都にはこうした潮入の庭園がなかったため、京都からの来訪客たちは多いに驚いたと言われています。庭園からは東京湾の向こうに房総半島まで見えていました。さらに、東京湾に鯨があがったときに、将軍に見せるために浜御殿まで鯨が連れて来られたとの逸話まで残されています。
現在の田町駅付近には、かつての汐留駅と東京貨物ターミナルがある大井ふ頭を結ぶ線路が残されています。この線路を走っていた路線が、貨物駅であった汐留駅と大井ふ頭を結ぶために高度経済成長期の1973年に作られた「大汐(おおしお)線」でした。大汐線が走る線路には、自家用車とドライバーが同じ列車で移動できる「カートレイン」も走っていました。この大汐線の線路の一部が、東京都心と羽田空港を結ぶ「羽田空港アクセス線」(早ければ2029年に開業)に活用される予定となっています。かつての大汐線が首都東京の新たな路線になろうとしています。
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