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amazon『雪の日にライオンを見に行く』志津栄子(講談社)
第24回ちゅうでん児童文学賞で大賞を受賞(2022年3月)した作品です。同賞を獲得した作品ではこれまでにも、第21回(2019年3月)の『みつきの雪』(眞島めいり)が、学習院中等科(2021年度)や実践女子学園中(2021年度)、甲陽学院中(2021年度)などで、第22回(2020年3月)の『ベランダに手をふって』(葉山エミ)が、青山学院中等部(2022年度)などで、そして第23回(2021年3月)の『シャンシャン、夏だより』(浅野竜)が桐朋中(2023年度)、高輪中(2023年度)などで出題されてきました。
何をするにも自信がなかった小学5年生の主人公が、生き別れたままの父親の抱えた葛藤を知る機会を重ね、また孤独を抱えて生きる転校生の少女との出会いを通じて心を成長させて行く姿を描いた物語です。読みやすい文体で書かれていますが、中国残留邦人といった歴史的な背景や、「孤独」を通してつながる人物の関係など、深みを持って物語が展開して行く本作品は、来年度入試で偏差値を問わず多くの学校が出題対象とする可能性が高いです。
≪主な登場人物≫
唯人(ゆいと:小学5年生の男子。物心がついたときには父親が家を出て行ってしまっており、美容師をしている母親と二人で暮らしている。何をするにも自信がなく、人前で話すことも苦手にしている。)
洋平(ようへい:唯人の同い年の従兄。唯人とは対照的にしっかりとした性格で、常に唯人が頼りにしている存在。)
小春(こはる:唯人の母親。文中では唯人の目線で「母さん」と表されている。)
竜次(りゅうじ:唯人の父親。家を出て行ってしまい消息不明の状態が続いている。)
山田良平(やまだりょうへい:唯人、洋平の祖父で、竜次の父親。中国残留邦人で、第二次世界大戦後に赤んぼうであった頃から中国に取り残され、52歳になってようやく日本に訪れた。)
≪あらすじ≫
大阪に住む小学5年生の唯人は、何をするにも自信が持てず、人前で話すことも苦手にしています。同い年の従兄であるしっかり者の洋平とは父親どうしが兄弟で、その父親にあたる祖父の良平は中国残留邦人です。唯人の父親は、まだ唯人が幼い頃に家を出て行ってしまったまま消息不明で、唯人は美容師の母親と二人で生活しています。年が明けた正月に、唯人は洋平に誘われて祖父と一緒に通天閣に遊びに行きます。通天閣には足に触ると幸運が訪れるとされる像の「ビリケン」が置かれています。唯人は大阪の町のあちこちにかざられているレプリカ(複製品)のビリケンを見るたびに「父さんに合わせてほしい」という願いごとを伝えてきたのでした。
本作品は主人公の唯人が「友人関係」や「親子関係」を変化させる中で心の成長を果たして行く姿を描いていますが、その関係を「孤独」が結びつけているという点が特徴的です。物語は、従兄の洋平との関係や、転校生の生島梓(きじまあずさ・通称アズ)という少女との関係の変化を軸として進行します。今回取り上げる部分はその軸の重要な背景となる、唯人と消息不明になっている父親との「親子関係」がテーマとなります。祖父や母親から語られる父親の想い、葛藤を知った唯人が父親に対する印象を変化させて行く過程を正確に読み取るのことがポイントです。この過程を通して唯人の中に生まれた想いがその後の唯人の行動を変化させる要因のひとつとなる点で、今回取り上げる部分が物語全体の大きな分岐点になっていると言えます。
また、唯人の父親が中国残留邦人であるという点をおさえることは、人物の背景にある歴史的な事情を踏まえながら物語を読み進めるという貴重な読書体験になります。
唯人と洋平、祖父の3人が通天閣に訪れる場面から、母親から父親の過去について明かされる場面までを含みます。父親についての定かな記憶を持たない唯人は、父親という存在に実感が持てないでいましたが、祖父が中国を離れて日本に来たきっかけに父親の言葉が影響を及ぼしていたこと、父親が姿を消したことに祖父が深く傷ついていること、そして父親が「自分が何者であるのか」という葛藤を抱えていたことなどを知り、父親に対する考え方を変化させて行きます。そうした唯人の心の揺れ動きを、文章中の表現から的確に読み取って行きましょう。
説明すべき内容は、問題該当部の後に詳しく書かれていますので、記述解答の要素を見つけることはとても簡単な問題です。ポイントは、この場面での唯人の心の揺れ動きの内容を詳しく正確に理解することにあります。
まずは、記述解答の要素を整理して行きましょう。
普段から町でビリケンを見かけては、父親に会いたいという願いを伝えてきた唯人にとって、通天閣にかざられている本物のビリケンを前にしたことは、願いを伝える絶好のチャンスであったはずです。それは問題該当部の直後にある以下の一文にも表されています。
説明すべき要素のひとつ、何を言えないのかが、ここで言ういつもの願いごとである「父親に会いたいという願い」である点はすぐに理解できるでしょう。
さらに続きを読み進めることで、なぜ唯人がその願いを言えなかったのかの理由が明らかになります。
町でビリケンを見るたびに伝える程の強い願いであったにもかかわらず、ここでの唯人は明らかに弱気になっています。緊張しているとも言えます。そのきっかけとなったのは、祖父から聞かされた父親の過去でした。唯人のそんな変化は以下のように表されています。
この部分だけをまとめるだけでも解答をほぼ完成させられる程に、唯人の心情を凝縮した部分です。今までは父親が本当に存在しているのか、どんな人だったのかを確かめたいだけだった唯人でしたが、祖父の話を聞いて、急に父親という存在が具体的にイメージできるようになってしまった。それは父親のことを知るという意味では前向きな一歩ではあるのですが、それに伴って、自分が父親に対してとるべき姿勢をよりはっきりさせなくてはいけないことになり、それが唯人の心に強い緊張感を与えているのです。
こうした、曖昧な状況から急に具体的に事態が進んだ際に感じる緊張感、戸惑いは大人であれば自身の体験もあって容易にイメージできますが、小学生のお子様方にとっては、理解が難しいところになります。詳しく父親像をイメージできるようになったことのプラス面だけに考えをとどめてしまうと、緊張や不安といった心の負荷を伴う心情を読み取れなくなってしまいます。ここでの唯人のような、事態の変化に戸惑いを隠せないでいる人物の姿に多く触れることで、揺れ動く心情の読み取りを深めて行きましょう。
ピックアップした箇所から解答の要素を整理して、制限字数とのバランスを考慮すれば、解答を仕上げられます。問題としては拍子抜けするほど簡単に感じられたかもしれませんが、ここでの唯人のような、事態がプラスに向かう一方で、心に生じた負担に戸惑うといったケースをひとつの典型パターンとしておさえておいてください。
今までは父親に会いたいと思うだけでいたが、祖父から父親の過去を聞き、姿を消した父親と真正面から向き合うべきと考えるようになり、緊張感が高まったことで、父親に会いたいという願いを言えなくなってしまった。(100字)
P.99の1行目からP.100の9行目までに「パチン。」という母さんが碁石を打つ音が何度も出てきますが、ここでの音の表現にはどのような効果がありますか。最も適切なものを次の中から選び、記号で答えなさい。
ア.普段の様子とは異なる母さんが放つ空気に、唯人が驚き、不安や恐怖感まで抱いている様子が強調されている。
イ.自分たちを置いて姿を消した父さんへの母さんの怒りと、唯人の怒りが段々につながって行く様子を示している。
ウ.父さんを愛する気持ちに変わりはないが、これからは母子二人で生きて行こうという母さんの決意を表している。
エ.父さんが抱えていた葛藤を振り返りながら、父さんの想いをかみしめている母さんの様子を際立たせている。
この問題のように、文章中に現れる音の効果について答えさせる問題は実際の入試問題でも見られます。音が暗示している内容を把握するのは難しく感じられますが、その音の特徴や、その音を発する人物の表情や言葉をヒントにすれば、解答のポイントは思うより簡単につかめます。
母親が打つ碁石の音は以下のように唯人の耳に響いています。
「思いもかけず大きな音」という部分から、唯人にとっては驚きを感じるもので、またご石を打つ母親の想いが強いことが示されていると読み取れます。この段階では選択肢のすべてが当てはまる可能性を持っています。
そこで、母親が唯人に向けて発した言葉に目を向けてみましょう。母親は唯人に、父親が自分に問いかけた以下の中国語の言葉を伝えます。
中国語で、「あなたは何人(なにじん)ですか?」の意味の言葉です。中国残留邦人の祖父と一緒に日本に来た父親でしたが、自分は日本人なのか、中国人なのか、と迷うようになったと、母親は語ります。
それから母親は目を閉じて碁石を打ち、その碁石が白い石だった場合は「我是中国人(中国人です)」と言いながら、黒い石だった場合は「我是日本人(日本人です)」と言いながら、碁盤の碁石を次々に打って行きます。そのたびに響く「パチン。」という音。そして、以下のような言葉が母親の口から告げられます。
その後、母親は「もういらんな」(P.102の4行目)とまるで想いを振り切るように明るく言います。ここだけを見ると、母親が父親への想いを断ち切っているように思われますが、その後に以下のように母親は自分の想いを語ります。
ここに、母親が父親への想いを断ち切ったのではなく、自分が何人であるのかという父親の葛藤を象徴する碁石を捨てることで、父親が何人であっても変わらず愛しているという自分の想いを明らかにしている母親の姿が読み取れます。
以上から選択肢を見てみると、まず選択肢のアにあるような唯人の不安や恐怖感は一切書かれていませんので不適切になります。選択肢のイにある怒りも、最後にご紹介した部分から考えるとあてはまりません。また選択肢のウですが、パチンという碁石の音と深く結びつきそうな内容が書かれていますが、やはり最後の言葉から、母親が父親との関係を絶とうとする意志がないことがわかりますので、不適切になります。よって正解は選択肢のエです。
音の効果という抽象的な内容でも、文章中の表現や言葉をひとつひとつ確かめて行けば、具体的に意味するところをつかめるようになります。問題該当部の前後以外にも視野を広げて、解答のヒントを拾い上げて行きましょう。
エ
今回ご紹介しました部分を含む第5章『你是哪国人?(何人でっか?)』で唯人は父親への考え方を変化させ、父親と向き合おうと思うようになります。一方で、父親が自らに投げかけた、自分が何人であるのか、という問いが心に残り、唯人自身が自分は果たして何人であるのか、と考えるようになります。その流れで続く第6章『おれかて、ひとりぼっちやで』では、転校生のアズと唯人が心の距離を一気に縮めて行く様子が美しく、切なく描かれています。以下の一文に、それぞれに孤独を感じている唯人とアズの心が通い合った様子が表されています。
この第6章で描かれる内容が、そのままこの作品のタイトルにつながってくることがわかった瞬間、この作品を読んでいることの幸せが強く感じられます。ぜひ第5章と第6章をじっくりとゆっくりと読み込んでください。それによって、その後の第7章から始まる「なわとび大会」を舞台とした、ラストに向けて一気に加速する物語を存分に楽しむことができます。そして最後まで読み終えた時には、誰かと共有しないではいられなくなる程の多幸感を味わうことができるでしょう。
全部で約190ページとボリュームもおさえめで、人物たちの言葉のほとんどは関西の言葉遣いですが、文体はとても読みやすいもので、6年生はもちろん5年生でも十分に楽しめる内容です。等身大の人物の心情を描いた読み進めやすい物語展開ですが、中国残留邦人といった歴史的に重要な背景、「孤独」というテーマを根底に置くといった構成の妙を味わえる貴重な一冊です。
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