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これまで連作短編集『木曜日にはココアを』に所収された作品が、開成中(2018年度)、鷗友学園女子中(2019年度)、青山学院中等部(2020年度)、立教新座中(2022年度)などで、同じく連作短編集である『鎌倉うずまき案内所』に所収された作品が品川女子学院(2020年度)、栄東中東大特待Ⅰ(2022年度)などで出題され、2023年度入試でも連作短編集『月曜日の抹茶カフェ』が栄東中A日程(1/11)などで出題された、中学受験でも高い人気を集める作家、青山美智子氏による連作短編集が今回ご紹介する『月の立つ林で』です。
元看護師や芸人、二輪自動車整備士など仕事も生活環境も様々な人々を主人公とした5編の短編です。それぞれの主人公は直接の知り合いではないのですが、確かに“つながっている”ところがこの本の面白いところで、人と人との見えない“つながり”について考えさせられる物語です。各短編に共通しているのが、インターネット上の無料の音声コンテンツ、ポッドキャストです。ある男性が月をテーマに語るポッドキャストを主人公達が聞き、そこで語られた内容が物語の進行にも関わってくるという内容ですが、ポッドキャストについての予備知識が全くなくても問題なく読み進められます。青山美智子氏ならではの、様々な想いを抱える人物達のほんの細やかな心の揺れ動きをとらえた表現が本作品でも随所に見られます。
今回はこの連作短編集の中から、高校生の女子を主人公とした第四章の『ウミガメ』を取り上げます。友達もなく、母親からの愛情も感じられない主人公が、思わぬかたちで出会ったクラスメイトと心の交流をゆっくりと重ねて行く過程が描かれた本編は、来年度入試で注目を集めること必至です。
≪主な登場人物≫
逢坂那智(あいさかなち:高校三年生の女子。中学一年の時に両親が離婚してから母親と二人で暮らしている。母親からの愛情を感じることができず、また学校のクラスには打ち解けて話せるような友人がいないこともあり、自己肯定感を持てないままに日々を過ごしている。)
神城迅(かみしろじん:那智のクラスメイトだが、これまで那智と会話を交わしたことはない。小学生の時に両親が離婚し、劇団を主宰する父親と二人で暮らしている。)
≪あらすじ≫
高校三年生の那智は中学生の頃に両親が離婚し、現在は母親と二人で暮らしています。母親から愛されていないと自覚する那智は、母親の元から離れて自立した生活を送りたいと日々思っている中で、原付自動車の運連免許を取得し、ウーバーイーツの配達員のアルバイトを始めることを決意します。バイクショップで購入したスクーターに『夜風』という名前を付け、配達員の仕事を始めた那智は、配達先で偶然クラスメイトの神城迅と出会い、迅の父親が主宰する劇団の仕事を手伝うようになります。
この短編は「友人関係」「恋心」をメインのテーマとしながら、「苦境に向き合う」というテーマも含んでいます。主人公の那智と迅の関係の変化を読み取る過程で、自己肯定感を持てずにいた那智が、同じ境遇にいる迅と出会うことで自分の心のよりどころを見つけ出して行くといった心情の移り変わりを那智の言葉を通して理解することがポイントになります。
配達のアルバイトを始めた那智が配達先で迅と出会い、迅の父親の仕事の手伝いをするまでの様子が描かれた場面です。迅と過ごす時間にはじめは戸惑いを感じていた那智が、迅との共通点を見出し、次第に迅との心の距離感を縮めて行く様子を的確に読み取るようにしましょう。
問題としては簡単で、テストで出された場合には必答問題のレベルとなりますが、「具体的に」という指示に従うことに注意が必要です。問題該当部の直前に、「引っ越し?そっち?」(P.181の6行目)とあることから、迅が発した言葉が思いも寄らないことであったことで那智が笑ったと理解できます。思いも寄らないことを表す言葉としては、この後に出てくる「的外れなこと」(P.181の17行目)か、「意表をつく」(P.182の4行目)を解答に使えばよいでしょう。ただ、ここで答えを「迅の言葉が的外れであったから」という内容だけで解答を作ろうとしてしまうと、問題の指示の「具体的に」に合わなくなりますし、字数も大きく不足します。どのような点が的外れであったのかを詳しく説明しなければ、得点にはなりません。そこで、問題該当部に至るまでの那智が迅に対して抱く心情の変化を確認してみましょう。
最初に配達先で迅に会った那智は、以下のような印象を抱いています。
那智が自分と同じようにクラスの中で目立たず、仲間もいない存在として迅を見ていたことがわかりますが、注意すべきは最後の「つまり、私みたいな」という表現です。那智は迅に自分との共通点を見出していますが、これは自分に対して否定的な感情を抱いていることが表されたもので、迅に対して共感を抱いたものとまでは言えません。那智が自己肯定感を持てないでいることが、この部分で強調されています。
その後、迅の部屋に不意に飛び込んできたスズメを部屋から出す手伝いをした那智に対して、迅が感謝の言葉を発した場面で那智の想いが以下のように表されます。
この部分でも、那智が他人からやわらかな表情をされたことがない(あるいはされていても気づかなかった)点が表され、那智が他人とのコミュニケーションを閉ざしながら日々を過ごしてきたことが読み取れます。
そして、父親の劇団のアルバイトを手伝うと申し出た那智に対して、迅が目を見開いた表情をした際の那智の想いが以下の通りとなります。
那智と迅の関係の変化を読み取るうえで重要な部分ですので、見逃さないようにしましょう。「受容の明るさ」という表現は「喜んで受け入れてくれた」と言い換えることもできるでしょう。迅の表情に込められた心情を、那智が「素直に」感じ取ることができた、しかも「初めてだったかもしれない」としている点からも、これまで他人の心情に対して否定的に構えていた那智が、ここで初めて素直に他人の想いを受け取ったと理解できます。
それから迅の部屋でアルバイトの内職を始めた那智は会話の流れで、迅の両親が離婚し、迅が父親と二人暮らしをしていることを知ります。「かわいそうって思われるの、本当に嫌い」(P.180の3行目)と感情を吐露する迅に対し、那智は自分も同じ境遇にいることを明かします。
他人に対して心を閉ざしていた那智は、これまでに自分の過去を明かすことはなかったと推測されます。それだけに自分の境遇を言葉にした際に、それが「かわいそうな子に聞こえる」ことも初めて認識したと考えられます。
那智の言葉は同情を求めて発せられたものではなく、迅との心の距離感を縮めたい目的もなかったでしょう。ただ、情けをかけられることを拒絶する迅に、自分も同じ境遇にいることを伝えたかっただけの想いであったと読み取れます。
それでも、迅の反応が以下のようになるとは、那智も考えていませんでした。
ここから問題該当部へとつながります。会話の流れからすれば、いたわるべきは那智がつらい時間を過ごしてきたことに対してであって、引っ越しについてではない、そこが「的外れ」で「意表をつかれた」のであるとして、解答を作ることができます。
ただ、ここで思わず笑ってしまったことは那智にとってはむしろ良かったと考えることができます。迅が「かわいそう」と思われたくないように、那智も安直な同情はして欲しくなかったかもしれません。那智にとってはそれよりも自分の境遇を話せる相手と出会い、そして笑ってしまうことで気持ちが軽くなり、その相手との関係も保てると思えたことが重要であったと言えるでしょう。実際に那智と迅はその後も手を休めることなく、会話をしながら内職の作業を続けます。この淡々と流れる時間の描写に、那智の心に温かさが宿ってきていることが表されています。
那智が両親の離婚によってつらい時間を過ごしてきたことに対してではなく、引っ越しが大変であったと的外れないたわり方をする迅の言葉に意表をつかれたため。(74字)
改めて、那智から見た迅との関係の変化を整理すると、初めは同じクラスにいることも特別に意識していませんでしたが、自分に対し、やわらかな表情を向けてくれ、受け入れてくれたことで、初めて素直に想いを表せる相手へと変化してきました。そして互いに両親が離婚した境遇にあることを知り、自分の過去を話せるようにまでになりました。
その後、迅が那智のことを「なっちゃん」と呼ぶと、唐突に言い出します。驚きながらもそれを受け入れた際の那智の心情が以下のようにつづられています。
相手を想う心が無自覚から自覚へと変わる、「恋心」をテーマとした文章で頻出の心情の流れですが、ここでは那智の心情を恋心と限定せずに、那智にとって迅の存在が大きくなっていっていると認識しておきましょう。
迅の言葉を受けて那智も迅のことを「ジンくん」と呼ぶと告げた際に、迅は以下のような反応を示します。
この迅の反応を見ての那智の「ここにいたんだ」という想いが、予想問題2で問われている内容です。解答のポイントは直後にある以下の2文です。
この2文こそが、この問題に限らず、この短編全体にとっても重要な意味が込められたメッセージになっています。最後にある「時間がかかる」とは、単に長い時間がかかるというよりも、相手に対してどこまで自分の素直な感情を表せるか、それを知るために時間が必要であるという意味と考えられます。予想問題1から見てきた通り、那智にとって初めは意識をしていなかった迅という存在が、自分を受け入れてくれたこと、素直な心情になれたことを経て、自分のつらい過去を明かせるまでの存在へと変化してきました。そうした過程を経て、ようやく「同志」として自分の心の中で大事な存在として認められるようになったのです。
解答を作るにあたっては、「同志」という言葉はそのままでは少しわかりづらいので、他の表現に換えた方がよいでしょう。あとは150字以内という制限字数の中におさまるまで、具体的に内容を含めることに注意が必要です。
はじめはクラスメイトとしても特に意識していなかった迅が自分を受け入れてくれたことで、自分も素直な感情で迅に接することができるようになった。そして両親の離婚という境遇の中で生きてきた共通点があることを知り、互いに打ち解け合える大事な存在と認められるようになった。(130字)
この短編『ウミガメ』以外にも第一章の『誰かの朔』など、本作品には人と人とのつながりの重要性が描かれた作品が多く含まれています。『ウミガメ』にも今回ご紹介した箇所以外に、自立をしたい那智と母親の関係を描いた箇所など、入試で出題される可能性の高いところがいくつもありますので、まずは『ウミガメ』を読んでから他の短編もぜひ読んでみてください。
『ウミガメ』の中に、那智が出会った竹林を管理する男性が発する以下の言葉があります。
まさに本作品がテーマとする人と人とのつながりを端的に表した言葉です。コロナ禍にあって人と人とのつながり方が変貌し、つながりの重要性が増していることは、中学受験生の皆さんも強く感じていることでしょう。そうした共通認識とも言える「人と人とのつながりの重要性」をテーマとしているからこそ、本作品が来年度入試で多くの中学校の先生方が注目される可能性が高いと考えられます。
また本作品の魅力は、各短編に登場してくる人物が他の短編の主人公であるなど、短編の枠を越えての人のつながりが絶妙に描かれているところにもあります。まさに連作短編集ならではの読む楽しみを味わうことができます。
主人公が大人の短編がほとんどですが、読みやすい文体で書かれていますので、6年生の皆さんだけでなく、読書好きな5年生の皆さんにもおすすめしたい一冊です。
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