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2019年度入試で、駒場東邦中などで出題された『あした、また学校で』の著者・工藤純子氏による作品です。『あした、また学校で』は先生に厳しく叱られた生徒が学校に通えなくなってしまった事件をきっかけに、「学校とは誰のためのものなのか」という問いに対する答えについて、生徒、親、先生それぞれの視点で語られる物語でしたが、本作品も構成は同じで、あるクラスで起きたいじめに対して、いじめをしてしまった生徒、いじめに遭ってしまった生徒、傍観者となったことで苦しむ生徒、そして担任の先生といった立場が異なる人物それぞれを主人公とした章が連なるかたちで構成されています。本作品はいじめを物語の題材としていますが、その凄惨さを描くのではなく、それぞれの立場にいる人物たちが悩み、苦しむ姿、そして彼らがその苦しみから立ち直って行く過程を丁寧に描き切っています。
「いじめ」という社会問題を題材としながら、大人を含め、様々な立場の人物たちがその心情を変化させ、成長して行く様子を精緻に描いた本作品は、来年度入試で多くの中学校の注目を集めること必至です。
≪主な登場人物≫
関颯斗(せきはやと:小学6年生の男子。両親に勧められるままに中学受験の勉強をしている。同じクラスの清也にいじめをしてしまう。)
久保塚連(くぼづかれん:颯斗と同じクラスの小学6年生の男子。その場の空気を読んで行動してしまうところがあり、颯斗が清也に行ったいじめも止められないでいた。)
三橋清也(みつはしせいや:小学6年生の男子。正義感が強く、颯斗のいら立ち紛れの行動を注意したことで、颯斗からのいじめに遭うようになる。)
矢島幸太郎・溝口渉(やじまこうたろう・みぞぐちわたる:2人とも連や颯斗と同じクラスの小学6年生の男子。)
原島夏帆(はらしまかほ・連たちのクラスの担任の先生。通称「ハラちゃん」。煩雑さを極める教師の仕事にいら立ちを覚えている。小学生の頃にいじめに加担してしまった過去を持つ。)
≪あらすじ≫
小学6年生の颯斗は、両親に勧められるままに中学受験をしていますが、思うように成績が上がらないでいます。そんな自分に厳しくあたる父親や、父親の言いなりのままの母親から受けるプレッシャーで、いら立ちが募り、それを紛らわすかのように、同じクラスの連、幸太郎、渉に指示をして、清也のランドセルに金魚のエサを投入するといういじめをしてしまいます。その後、両親にかけられる圧力に苦しみ、また颯斗の指示のままに清也へのいじめに加担した連や幸太郎、渉との関係も行き詰まることで、次第に颯斗の精神は崩壊し、ついには連を殴ってしまいます。その事件をきっかけに、クラスで孤立する颯斗。担任のハラちゃんが学級会で生徒たちを前に、自分が過去にいじめに加担したこと、そのことへの後悔に苦しみ続けていることを明かし、事態を改善しようとしますが、颯斗は心を閉ざしたままでいます。
この作品は「いじめ問題」という社会的テーマを軸として、登場人物たちの「友人関係」や「親子関係」など様々な読解のテーマを含みながら物語が進行します。今回ご紹介する章では、颯斗といういじめを首謀してしまった人物の「挫折からの再生」、そしてその背景となる「親子関係の変化」が重要なテーマとなっています。颯斗がなぜ清也を傷つけるような行動をとってしまったのか、その大きな原因となっていた父親との関係を、颯斗が何をきっかけに変えようと思うようになったのかを、正確に読み取ることがポイントになります。担任のハラちゃんや颯斗の祖母の存在が大きな意味を持っていますが、こうした「親以外の大人との関係」もまた中学受験読解の重要なテーマとなっていますので、ハラちゃんや祖母から颯斗に語られる言葉の内容を理解したうえで、それが颯斗の心情変化にどのように影響したのかを読み取るようにしましょう。
先にも触れました通り、本作品は、異なる人物の視点で描かれた章が連なるかたちで構成されています。この章は、いじめをしてしまった颯斗の視点で物語が進行します。心が崩壊して学校での居場所をなくし、父親から向けられる自分を見限った視線に耐えられなくなった颯斗が、家を出て、父方の祖母の家を訪れることから物語が始まります。愛想がなく、優しさを見せない祖母が苦手だった颯斗が、祖母の言葉をきっかけとして、どのように自分の気持ちに向き合うようになったのか、担任のハラちゃんが必死の想いで颯斗に投げかけた言葉が彼の中にどのように響いたのかを読み取って行きましょう。
P.178の9行目から11行目に「小さいのが四匹、広くなった水槽で、のびのびと泳ぎ出す。大きいのが死んでいることにさえ気づかない。もう、手遅れだ。」とありますが、水槽の中の金魚たちを見る颯斗の様子を説明したものとして、最も適切なものを次の中から選び、記号で答えなさい。
ア.もっと早くに自分が連や清也に謝っていれば状況が変わっていたはずなのに、その勇気を持てずに強がったことを深く後悔している。
イ.今さら連や清也たちとの関係を修復しようとしても、彼らが自分を受け入れるはずもなく、何をすることもできないとあきらめている。
ウ.自分がしたことを考えれば連や清也たちに見捨てられるのも当然で、今になって自分がいかに身勝手であったかを知って絶望している。
エ.自分が連や清也に自分がしたことは決して許されるものではないが、彼らと向き合うよりも一人で生きて行こうと心に決めている。
まず、この章の初めの部分にある以下の颯斗の言葉に注意しておきましょう。
クラスでの居場所をなくし、心を閉ざしたままに苦しみの極地にまで達しようとしている颯斗に対し、担任の先生であるハラちゃんが強い想いを颯斗に訴えかけた後の場面です。水槽の中で死んでしまっている大きな一匹の金魚が颯斗の目を通した自分の現状を、その周りでのびのびと泳ぐ四匹の金魚が連、清也、幸太郎、渉の姿を、それぞれ象徴的に表している点はすぐに理解ができるでしょう。ポイントは、ハラちゃんの言葉への颯斗の反応、「もう、手遅れだ」と感じるまでの颯斗の心情の流れ、連や清也たちとの関係を正確に読み取ることにあります。
まずは直前のハラちゃんと颯斗のやりとりの内容を確認しましょう。学校で開催されるキャンプへの参加を促されても頑なに断る颯斗に対し、ハラちゃんは以下のような言葉を投げかけます。
自分自身も小学生の時に、周りからの誘いを断る勇気が持てずにいじめに加担してしまい、親友を深く傷つけてしまった過去を持ち、その過去の呪縛から逃れられないでいるハラちゃんだからこそ、今の颯斗に伝えたい、伝えなくてはいけない想いを吐露しています。そんな言葉にも颯斗は強く拒絶し、その場で暴れ、ハラちゃんを激しく罵倒してしまうのです。颯斗は自分の姿を以下のように語っています。
激しく高ぶる颯斗を前にしてもハラちゃんはひるむことなく、颯斗にやり直すように強く訴えます。そんなハラちゃんの姿を見た颯斗は、以下のように語ります。
この颯斗の言葉が、固く閉ざした心が開き始める兆しであることはぜひ読み取って頂きたいところです。心を閉ざした人物が、ここでのハラちゃんのような自分を受け入れてくれる人物に対して、驚いたり、疑問を抱くことから、自分に向き合って心を開放させるきっかけをつかむというケースが、多くの物語で見られ、入試問題でも出題対象となることが多いのです。
自分を受け入れてくれる人物に出会った途端に心を入れ替えて、事態を改善させるような行動に移す、というシンプルな行動は中学受験の題材となるような物語ではほとんど見られません。抱える悩みや悲しみが深いからこそ、簡単には心を入れ替えて行動を起こすことはできない。まず自分を受け入れてくれる人物がいたのかという驚きや、なぜ受け入れてくれるのかという疑問を抱き、そこから次第に自分に向き合うようになる、といった少しずつの変化を読み取らせるケースが圧倒的に多いのです。
ここでの颯斗は、ハラちゃんの言葉を受け止めながらも、何も返答することはせずに、その場を去ります。そこで見た水槽の様子が問題となっています。
自分のつらい過去をさらけ出してまで「逃げてはいけない」というメッセージを伝えようとするハラちゃんの言葉を受けながらも、まだ連たちに向き合うことはできない。教室の中で何もできずにただ存在を消している自分は、水槽の中で死んでしまった大きな金魚と同じで、のびのびと泳ぐ小さな金魚たちのような連や清也たちと、関係を修復することはもうできない。そんな颯斗の心情が「手遅れ」という言葉に表されています。
選択肢の中で、まずエですが、ハラちゃんの言葉を颯斗が受け止めたことが一切書かれておらず、「一人で生きて行こう」という心情もこの場面での颯斗の様子とは全く一致しませんので、真っ先に消去されなければいけません。残る選択肢の最後の部分、アであれば「後悔」、イであれば「あきらめ」、ウであれば「絶望」は、どれも手遅れとは深く関連しますので、この最後の部分を消去の理由とするのは難しいでしょう。そこで選択肢の文章の前半を見てみます。
アについては、この段階での颯斗が「謝っていればよかった」と思えるほどに冷静になれていると判断できる要素がなく、また颯斗の様子は強がりではなく、いら立つ自分をコントロールできないでいるという方が正しいので、不適切となります。ウですが、連や清也が颯斗を見捨てているのではなく、颯斗が一方的に心を閉ざしているので、やはり消去すべきとなります。よって正解はイです。
手遅れという言葉だけを判断材料とすると、解答に時間がかかり過ぎ、結果選びきれなくなってしまいます。問題該当部に至るまでの人物の心の動きや、他者との関係を正確に理解したうえで選択肢を比較するようにしましょう。
イ
(A)は、家から逃げ出して父親の実家である祖母の家を訪れた颯斗が、父親がかつて生活していた部屋を見た印象を語った部分で、(B)は祖母から父親の過去について語られた際に、颯斗が父親の部屋を思い浮かべた部分です。どちらも(B)にあるように、父親の部屋が飾り気のないこと、参考書には几帳面で小さな字が書き込まれ、使い込まれていたことが表されています。
この2つの部分の違いを見分けるポイントはそれぞれの直後にある颯斗の様子や心情についての表現です。(A)の部分の直後の颯斗の様子は以下のように表されています。
一方、(B)の部分の直後には以下のような表現が記されています。
(A)の部分の直後と比べるとまるで別人のような表現です。この2つの表現を比べることで、(A)と(B)の部分での颯斗の心情の違いの核となる部分は容易に思い浮かべることができるでしょう。ただ、「(A)の部分では父親をつまらない人間と思っていたが、(B)の部分では父親と自分の共通点を見出している。」といっただけの解答では、問題の指示にある「詳しく説明」という指示には従えておらず、また字数も大幅に足りなくなります。(A)の時点では颯斗が父親に反発をしていること、そこから(B)の部分に至るまでに、祖母から聞いた内容を受けて颯斗の心情が変化したことについてまで触れるようにしましょう。
そうした構成で、この問題の解答は完成させることができますが、ここでもう一歩踏み込んで、この章を通じての颯斗の心情の流れを整理しておきましょう。この問題の(A)の部分と(B)の部分の間に、≪予想問題1≫で問題対象となった、颯斗とハラちゃんが対峙する場面がはさまれます。颯斗が(B)に至るまでに心情を変化させた理由の第一は、祖母の別れた夫に対する対抗心によって厳しく勉強させられたという父親の過去を知ったことにありますが、ハラちゃんの言葉に心が揺り動かされたことも大きく影響しています。そのことが示されているのが、(B)の部分の後にある、以下の表現です。
颯斗が何を言おうとして、それを止めたのか。それは続く以下の部分に表されています。
父親を苦しめ、そのせいで自分も苦しむことになったのは祖母のせいである、と言おうとした颯斗が、ハラちゃんの言葉を受けて、思いとどまり、自分がすべきことは何だったのかと振り返る。ここに颯斗が自分に向き合えるようになったことが表されているのです。
颯斗は祖母に父親と話をすることを告げ、また連や清也たちに対して「けじめをつける」ことを心に誓います。そして、颯斗が祖母の前でとめどなく涙を流す場面でこの章が終わります。
自分の成績不振、父親への恐怖心、そして清也への嫉妬心から心を崩壊させ「どこまでも落ちて行く。」としていた颯斗が、自分と向き合えるようにまでなれたのは、それぞれに自分の過去をさらけ出して、強い想いを颯斗に伝えたハラちゃんと祖母の言葉があったためと言えます。人物の心情が大きく動くときに、そこに他者からの強い意志が込められた言葉が存在するという状況は、入試でも問題対象となることが多くありますので注意しておきましょう。
(A)の部分では、自分に厳しく接していた父親への反発から、父親を勉強ばかりしていたつまらない人間であると見下していたが、父親が勉強していたのは祖母からの圧力があってのことであったと知って、(B)の部分では自分と同じように苦しんでいたかもしれない父親に共感を抱くようになっている。(138字)
冒頭にも触れました通り、この作品はクラスで起きたいじめという事件について、異なる立場の人物の視点から語られる章で構成されています。今回ご紹介した章ではいじめの首謀者となってしまった颯斗の視点で物語が進行しますが、その他にも、いじめに遭った清也の視点、いじめを止めることができなかった連の視点、そして担任の先生、ハラちゃんの視点で語られる章があります。清也や連の章も、等身大の心情の動きを味わえる秀逸な物語ですが、ぜひ『先生SIDE-原島夏帆』というタイトルの2つの章で描かれる、ハラちゃんの視点の物語をじっくりと読み込んでみてください。いじめをテーマとした作品に登場する先生は、生徒に寄り添う大人か、傍観者でしかない無責任な大人といった位置づけで表されることが多いですが、本作品ではそうした典型的なタイプにおさまらない先生の姿が見られます。さらに先生自身がいじめという事件を通して成長して行く姿がじっくりと描かれているのです。大人が成長する、といった展開に意外な印象を受けるかもしれませんが、先生という立場だからこその難しさに直面しながら大きく変化して行くハラちゃんの姿は、等身大ではない人物の心情の読み取りを求めるという最近の入試で顕著に見られる傾向を考えると、来年度入試で出題対象となる可能性が高くあります。ひとつの出来事にまつわる異なる立場の人物の心情の揺れ動きを通して、人物どうしの心のやり取りを深く味わうことができる貴重な一冊です。
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