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amazon『きみの話を聞かせてくれよ』村上雅郁(フレーベル館)
これまでに『りぼんちゃん』が湘南白百合学園中(2022年度)などで、また『キャンドル』が成城中(2022年度)などで出題されてきた、村上雅郁氏による連作短編集です。親友と仲たがいしたままで孤独を感じている女子生徒や、不登校になった妹を気遣う男子生徒など、様々な悩みを抱える中学生たちが、ある男子生徒にその悩みを打ち明けることをきっかけとして、他者との接し方を変化させて、新たな一歩を踏み出して行く様子が描かれています。7つの短編が掲載され、それぞれに主人公は異なりますが、同じ中学校を舞台としており、ある短編で主人公であった人物が別の短編でも重要な役割を果たすなど、短編どうしの人間関係がつながり合っている連作短編集の構成となっています。
時に笑いを誘うような軽快なトーンで物語が進みながら、何気ない言葉や行動を通して人物たちが抱える悩みや苦しみが表現され、心の傷の深さが読み手の胸に強く迫ってきます。それらの心情表現を正確に読み取るには確かな読解力が求められるため、男子校・女子校を問わず上位難関校での出題が予想されます。
今回はこの連作短編集の中から、ケーキ作りを趣味としているというだけでクラスメイトたちから不当な扱いを受けることに強い不満を感じている男子生徒の姿を描いた第二章の『タルトタタンの作り方』を取り上げます。「男らしさ・女らしさ」といった固定観念を持ったまま接してくる周りの人物たちの言動に苦しむ人物たちの姿を描いた本編は、来年度入試で多くの学校が出題対象とする可能性が高いです。
≪主な登場人物≫
轟虎之助(とどろきとらのすけ:中学一年生の男子。ケーキ作りを趣味としている。その趣味について話題とされることに嫌悪感を抱いているが、不満を口にできないままにいら立っている。)
祇園寺羽紗(ぎおんじうさ:中学三年生の女子。生徒会長であり剣道部の副部長でもある。ボーイッシュな雰囲気と整った容姿で女子の憧れの的となっている。「ウサギ王子」と呼ばれている。)
黒野良輔(くろのりょうすけ:中学二年生の男子。剣道部に所属しているが練習には参加していない。周りからは「つかみどころのないタイプ」と言われている。)
轟龍一郎(とどろきりゅういちろう:虎之助の兄で一年前まで同じ学校に通っていた。在校時にはサッカー部のキャプテンで学校の有名人であった。)
≪あらすじ≫
中学一年生の虎之助はケーキ作りを趣味としていますが、クラスメイトが興味本位でそのことを話すのを不満に思っています。中性的な顔立ちをしていることや、兄が学校の有名人であることで、いじめられはしませんが、自分を一人の人間として扱おうとしない周囲の言動に強い不満を募らせています。ある日、一年先輩の黒野良輔から声をかけられ、生徒会長の祇園寺羽紗のためにタルトタタンを作って欲しいと言われます。羽紗に調理方法を教えるうちに、虎之助は羽紗が「女子らしい」と思われることに強い反発を抱いている事実を知ったのです。
この短編の中学受験的テーマは「他者理解」です。「男らしさ・女らしさ」といった固定観念を持った他者の言動に苦しむ人物たちの姿が描かれていますが、彼らが他者を理解することで成長するというパターンではなく、他者から理解されない苦しむ姿を通して、他者理解の難しさと、だからこその重要性を訴えている点が特徴的です。男子でありながらケーキ作りが好きというだけで「ケーキ男子」というレッテルを貼られることに不満を感じる主人公・虎之助が、ボーイッシュな女子として学校中の女子のあこがれの的である祇園寺羽紗が抱える悩みに触れることで、他者理解についての考え方を深めて行く過程を、人物たちの何気ない言葉から的確に読み取ることがポイントです。また、黒野という人物の発する言葉には、他者理解の難しさに触れた深いメッセージが込められていますので、見逃さないようにしましょう。
前半は虎之助がクラスメイトの言動に強い不満を抱いている様子が、後半は虎之助が先輩の羽紗と一緒にタルトタタンを作った際に、「女子らしい」と思われることに強く反発する羽紗の想いを知る場面が描かれています。羽紗の悩む姿に触れた時間を経て、虎之助がどのように自分の悩み、苦しみに向き合うようになったのかを正確に読み取るようにしましょう。
P.96の4行目に「ばかみたい。こんなにおいしいのに。むかつく」とありますが、このときの羽紗の様子について説明したものとして、最も適切なものを次の中から選び、記号で答えなさい。
ア.これまでタルトタタンを美味しいと感じるような女子らしさを否定してきたが、そのこだわりから解放されて、素直な気持ちになれている。
イ.タルトタタンの美味しさを感じながらも、それを素直に受け止めることは自分を否定すると考えてしまう自分の不自由さに悲しみを感じている。
ウ.黒野の言葉を受けて、「ボーイッシュな女子らしさ」にとらわれていた自分の愚かさに気づき、自由に生きて行こうという強い決意を抱いている。
エ.他人の力を借りて自分を変えようとしたが、それが実現できないことを知って、無駄なことに時間と労力を費やした自分を情けなく思っている。
生徒会長でその整った容姿から全校女子生徒のあこがれの的である羽紗が、タルトタタンを食べた時に思わずもらしてしまった言葉に込められた想いが出題対象となっています。特に「ばかみたい」という羽紗の言葉が意味することの読み取りがポイントになります。羽紗が抱える悩みとはどのようなものなのか。それは虎之助が以下のような問いかけを羽紗にした後から明かされて行きます。
この問いかけは、これより前の部分で羽紗がつぶやいた以下の言葉を受けたものです。
実は同じ言葉が、さらに前の場面、黒野に連れられて虎之助が初めて羽紗と会った時にも羽紗によって発せられています。
くり返し同じ言葉が使われていることからも、この言葉に込められた羽紗の想いが強いことが強調されていると言えます。
その想いとはどのようなものなのか。虎之助の問いかけに対して羽紗は自分の過去を語り始めます。剣道が強くなり、ボーイッシュやかっこいいという言葉をかけられたことに喜び、「女子らしくなくていい」と考えることが自由であると感じていた羽紗でしたが、小学六年生の時の友人が作ったタルトタタンを食べて美味しかったことを伝えた時に、以下の言葉をその友人から言われます。
友人からすれば全く悪意なく発した言葉でしたが、羽紗にとっては「ぶんなぐられたようなショック」(P.93の3行目)を受けるものだったのです。何気ない一言がなぜそこまで羽紗の心を傷つけたのか。羽紗自身が以下のように語ります。
他の人からすれば悪意のない言葉でも、それが受け取る側が大事にしている部分にぶつかってしまうと、大きな衝撃となってしまうという描写は、多くの物語文で見られます。この部分のような人物が自分の言葉で説明をする場合には、過去の出来事の意味するところを確実にとらえる必要があります。また、作品によっては、ちょっとした表情の変化や、あるいは離れた場所の表現で説明されることがありますので、そうした心情把握のきっかけを見逃さないように注意しましょう。
「らしさ」にとらわれない自由な生き方をしてきたから、「女の子らしい」という趣旨の言葉を受けてショックを受けたと言う羽紗の言葉に反応したのは黒野でした。
自由でありたいと思っていながら、結局は強いこだわりに縛られて自由ではなくなっている。黒野が指摘した通りの想いを羽紗自身もすでに抱えていたことが以下の言葉で表されます。
最後の「でも」につながる以下の言葉に、羽紗の心の叫びとも言える想いが込められています。
ボーイッシュでかっこいいと言われたことに喜びを感じて、「女子らしくない」という自由を体現している自分が好きであったが、友人の言葉にショックを受け、女子らしいと言われることに恐怖感を抱くようになってしまった。「女子らしさ」を否定し続けた結果、黒野の言う「ボーイッシュな女子らしさ」にとらわれてしまい、結果として自由ではなくなってしまっているといった状況が、羽紗を苦しめているのです。
それを踏まえて選択肢を見てみると、まずアとウは自分が本末転倒な不自由さにとらわれていることを認識して、新たな生き方をしようとしている羽紗の姿を説明していますが、この段階で羽紗が心を解放させていると言い切るだけの根拠がなく、問題該当部の直後に「そのまま、祇園寺先輩はうつむいて、なにかを考えこんでいた。」(P.96の5行目)という描写があることからも、まだ羽紗は苦しみから抜け切れていないと考えるのが妥当ですので、どちらも不適切です。そして選択肢のエの「自分を情けなく思う」という表現は間違っていませんが、それが無駄な時間や労力を使ったことに対してとする点が不適切となります。羽紗が自分について「自由になれていない」と言っていることもあり、選択肢のイが適切となります。
ここでの羽紗の「ばかみたい」のように、人物の言葉は状況によって様々な意味を持ちます。問題該当部だけで判断するのではなく、その人物の心情の流れや、今回のような過去からの経緯(ヒストリー)を判断材料として正解を得るようにしましょう。
イ
ここで兄の龍一郎が出てくるのは、問題該当部の虎之助の言葉が、直前に龍一郎から投げかけられた言葉を受けてのものであるためです。兄の言葉は以下のようなものでした。
兄について虎之助は、これより前の二人が言い合いになった場面で以下のように表現しています。
この言葉からも、虎之助が兄に対して嫉妬心や劣等感を抱いてはいないと読み取れます。本心で兄を尊敬し、慕っていると言えるでしょう。問題該当部の言葉は兄への劣等感から発せられたのではなく、自分とは進む道があまりに違う兄には道の険しさを理解できないという虎之助の考えから出たものですので、解答に兄への劣等感は含めないように注意しましょう。
虎之助が言う「道の険しさ」を説明するにあたり、何が虎之助の心を悩ませているのかを確かめてみましょう。ケーキ作りが好きな自分に対するクラスメイトたちの言動にいら立つ虎之助の心情は、以下のように表現されています。
「そういうつもりがなくても」という表現からも、クラスメイトたちがあえて虎之助をきずつけようとしたのではなく、何気なく放った言葉に虎之助が不快感を抱いていること、その不快感の根本は自分を一人の人間として尊重していないことにあると読み取れます。
問題該当部の直後に、以下のような表現があります。
虎之助をきずつける石が他人から「投げつけられる」ものではなく、「道に落ちている」とされているところからも、意識的に、攻撃的に投げかけられた言葉ではなく、きずつける意志などないままに発せられた言葉に虎之助が苦しんでいることが読み取れます。
さらに続く以下の部分が、虎之助が感じる「きずつけられる感触」を詳しく説明しています。
ただケーキを作るのが好きなだけなのに、「男子らしくない」という理由だけで「スイーツ男子」というレッテルを勝手に貼り付けて、自分を見下している、という虎之助の周囲に対する憤りは、同じく「女子らしさ」にとらわれず自由でありたいだけなのに「ボーイッシュ女子」というレッテルにとらわれてしまっている羽紗の苦しみに触れることで、より一層深くなったと読み取れます。
そんな虎之助の心情を集約しているのが以下の表現です。
冒頭の「ぼくら」はもちろん、虎之助自身と羽紗のことを指します。自分も羽紗もありのままで生きていたいのに、それが否定されているという虎之助の想いが強く込められています。
以上のような虎之助が抱く不満、憤りを踏まえて、解答を作る際には、「道に落ちているちいさな石」に象徴される、悪意のないまま発せられる暴力的な言葉についても触れることを忘れないように気をつけましょう。
ただケーキ作りが好きなだけなのに、「ケーキ男子」と勝手に名付けて、自分を一人の人間をして見ようとしない人たちが何気なく発する言葉によって、ありのままに生きようとすることが否定されているということ。(98字)
今回ご紹介した短編『タルトタタンの作り方』以外にも、ほんの些細な一言がきっかけで親友と仲たがいしてしまった美術部員の女子を主人公とした『シロクマを描いて』や、不登校になってしまった妹の心の内を知ろうとする剣道部員の男子を主人公とした『ヘラクレイトスの川』など、来年度入試で出題対象となる可能性の高い短編が多く掲載されています。『タルトタタンの作り方』に登場した祇園寺羽紗のその後の姿を描いた『ウサギは羽ばたく』では、羽紗、そして虎之助が新たな一歩を踏み出して行く過程が描かれています。どの短編も登場人物たちの個性が魅力的で、感情移入しながら読めるため、彼らが成長して行く過程をスムーズに読み取ることができます。特に黒野という男子生徒は、すべての短編で主人公が心の内を変化させるきっかけを与えるキーマンになっています。黒野の言葉にはメッセージ性の強いものが多く、今回ご紹介した『タルトタタンの作り方』でも以下のような言葉が見られます。
黒野の言葉や、彼のさりげない仕掛けによって主人公たちが変化して行く様子はどれも爽快で、小気味よいだけでなく、他者理解の重要さを知らしめてくれるものです。
そして、本作品の大きな魅力のひとつは「笑い」の要素がふんだんに盛り込まれている点です。人物たちの掛け合いや、意外な行動は読んでいて思わず笑ってしまうものが多く、特に『ウサギは羽ばたく』の終盤にある一場面は、私も涙が出るほど笑ってしまいました。これまで多くの児童書を読んできましたが、こんなに笑わせてくれる児童書には出会ったことがありません。笑いと強いメッセージが、まさに緩急織り交ぜて読み手に届けられます。
来年度入試で出題される可能性が高いだけでなく、楽しみながらテーマ学習ができる傑作です。6年生はもちろん、読書好きな5年生を含め、一人でも多くの中学受験生に読んで頂きたい一冊です。
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