No.1345 『ブラタモリクイズ!佐野~佐野は“ほしいモノ”にあふれてる!?~編』

 今や中学受験生必見のNHK『ブラタモリ』。近年の中学入試では社会入試問題の作成担当の先生が『ブラタモリ』を見てインスパイアされたと思われるような問題が出題されています。そこで鉄人会では『ブラタモリ』で紹介された知識の中で、中学受験生にぜひ覚えておいて欲しいものや、なぜだろう?と考えながら答えを見つけていくトレーニングを兼ねてクイズ形式で整理しました。今回は7月8日に放送された佐野編です。

 栃木県の南西部に位置する佐野市。厄よけ大師やご当地グルメのラーメンで有名ですが、この佐野が昔も今も、「ほしいモノ」であふれているとはどういうことなのでしょうか。信長も家康も欲しがった鋳物の正体は?秀吉が愛用した茶釜に隠された秘密とは?上杉謙信はなぜ佐野の山城を攻略できなかったのか?日本の埋蔵量80%割を誇る貴重な鉱石とは?佐野ラーメンの美味しさの秘密は岩石にあり?歴史上の有名人たちから現代人まで、皆が欲しがるものにあふれる佐野の謎を探って行きましょう!

佐野市の位置

 佐野は歴史上の有名人たちが欲しがったもの、そして現代の人が欲しがるものまであふれています。
 佐野厄よけ大師は初詣で有名なお寺で、新年1月ひと月で100万人もの参拝客が訪れますが、その厄よけ大師の境内の中に、歴史上の有名人たちが何を欲しがったかを知るヒントがあります。

佐野厄よけ大師 画像引用元:ウィキペディア

 大師の梵鐘(ぼんしょう:寺院などで使われる釣鐘)は、天明鋳物(てんみょういもの)といって、佐野を代表する工芸品です。佐野は鋳物が有名な地なのです。
 鋳物とは、溶かした金属を型に流し込んでつくる工芸品のこと。佐野で生まれた天明鋳物こそ歴史上の有名人たちが欲しがったものでした。

Q1.織田信長や徳川家康が欲しがった天明鋳物で作られたものとは何でしょうか?
A1.茶釜(ちゃがま)

 茶釜は茶の湯で使われる道具のひとつで、茶に使用する湯を沸かすための釜です。

天明筋釜 東京国立博物館蔵 画像引用元:ウィキペディア

 それでは、なぜ信長、家康は天明鋳物の茶釜を欲しがったのでしょうか?
 その謎を解くために、現代でも伝統を受け継いでいる「鋳物師(いものし)」のいる場所へと向かいます。

 佐野厄よけ大師から東に150m程離れた場所に、金山神社(かなやまじんじゃ)という、地元では「金神(かながみ)さま」と呼ばれる神社があります。
 この神社は戦国時代から鋳物師の守り神として多くの信仰を集めてきました。神社の鳥居の基礎や額は、江戸時代に鋳物師たちによって奉納されたものです。今では「金が山のように成る」とのことで、ご利益を求めて参拝する人が多い神社となっています。

 金山神社の近くに、天明鋳物づくりの伝統を受け継ぎ、江戸時代から170年以上も続く鋳造所(ちゅうぞうじょ)があります。
 まず、天明鋳物はどのようにしてつくられるのでしょうか。
 鋳物の製造には、鋳物の形を決める鋳型(いがた)が使われます。鋳型は、外型と中子(なかご)という2つの型でできていますが、外型と中子の間にすき間があり、そのすき間に溶かした金属を流し込みます。金属が冷えて固まった後、型を壊して鋳物を取り出すという工程で鋳物がつくられるのです。

鋳型のイメージ図
上の口からすき間の部分(緑の矢印の先)に溶かした金属を流し込みます。

Q2.鋳型の中子と外型との間のすき間はどのようにしてつくるのでしょうか?
A2.中子の形に固まった砂の塊の周りを削る。

 まず鋳型の中子の部分に、湿った砂を埋めます。湿った砂を乾燥させてから取り出すと、中子の形の砂の塊ができます。その塊の周りを1層削っていくことによって、中子が1層分、小さくなります。その削った砂の型を鋳型に戻すと、削った部分がすき間になるという仕組みです。

 この天明鋳物を一体なぜ歴史上の有名人たちが欲しがったのでしょうか?
 その理由にはある人物の存在が大きく影響しています。

Q3.天明鋳物の茶釜が広く知られるようになったのは、ある人物が茶会で天明鋳物の茶釜を使ったことがきっかけと言われています。「わび」「さび」を根本とする「わび茶」の大成者と言われるこの人物とは誰でしょうか?
A3.千利休(せんのりきゅう)

千利休像 画像引用元:ウィキペディア

 千利休は堺の豪商出身で戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した茶人です。当時、茶の湯の世界で絶対的な存在であった利休が自らの茶会で天明鋳物の茶釜を使ったことで、そのブランド価値が急上昇したと言われています。
 天明鋳物の茶釜の特徴は、素朴でごつごつした「あれ肌」であること。この一見荒々しい質感に利休は美を見出しました。野趣(やしゅ)にあふれる利休好みの茶釜だったのです。

 さらに天明鋳物には、利休が仕えた天下人・豊臣秀吉が好んで使った茶釜もあります。それは「責紐釜(せめひもがま)」という茶釜です。責紐釜には一般的な茶釜とは異なるある特徴があります。

天明責紐釜 MOA美術館蔵  画像引用元:ウィキペディア

 上の写真のように、責紐釜には口の近くに取っ手が付けられ、紐が通せるようになっています。

Q4.責紐釜の口の近くに紐を通す取っ手が付けられているのは、紐を使って蓋(ふた)に封をすることができるためです。なぜ茶釜の蓋に封をする必要があったのでしょうか?
A4.毒を盛られないようにするため。

 紐を使って蓋に封をしたのは、茶の中に毒を盛られないようにするためでした。茶釜を使う際には紐を切って蓋を開けていました。当時の茶会は大名たちにとって重要な交渉を行う「政治の場」でもあったのです。その際に毒を盛られないように、秀吉はこの天明の茶釜を重宝したと言われています。

 今でも天明鋳物の茶釜は茶の湯の世界で広く愛されています。佐野の天明鋳物は1000年の時を超えて人々に欲しがられているのです。

 佐野には戦国大名・上杉謙信が強く欲しがったものもあります。
 その謎を解き明かす場所は佐野駅から車で15分ほどの山の中にあります。

上杉謙信肖像 画像引用元:ウィキペディア

 上杉謙信が欲しがったのは唐沢山城(からさわやまじょう)という城でした。この唐沢山城は東日本屈指の大規模な山城と言われ、佐野の地名の由来となった、佐野市の居城でした。

唐沢山城の本丸(唐沢山神社) 画像引用元:ウィキペディア

 謙信が唐沢山城を欲しがったのは、ただ規模が大きいからだけではありませんでした。
 城の中にある天狗岩(てんぐいわ)という巨岩に上ると、謙信がこの城を欲しがった理由がわかります。
 天狗岩の頂上からは今でも東京の新宿ビル群や東京スカイツリーが見え、さらに西や北の方角も見渡せます。つまり唐沢山城からは、関東を一望することができたのです。

Q5.上杉謙信が関東を一望できる唐沢山城を欲しがった理由とは何でしょうか?
A5.関東へ進出する拠点にしたかったため。

 戦国時代、越後の上杉謙信は小田原の北条氏康と関東の覇権争いをしていました。上杉謙信の居城である春日山城(かすがやまじょう)と北条氏康の居城である小田原城(おだわらじょう)の中間に位置して関東を見渡せる唐沢山城は、関東進出を目指す謙信にとってどうしても欲しい城だったのです。

青丸が春日山城、紫丸が唐沢山城、赤丸が小田原城

 唐沢山城をどうしても欲しかった謙信は5回以上も城攻めをしましたが、ついに落とすことができませんでした。そこにはこの城の地質が深く関係しています。

Q6.天狗岩は硬い岩石でできています。プランクトンの殻が海底に堆積してできるこの岩石とは何でしょうか?
A6.チャート

 チャートは硬い殻を持つ放散虫(ほうさんちゅう)というプランクトンの殻が海底に堆積してできた岩石です。非常に硬いことがチャートの特徴です。

チャート 画像引用元:ウィキペディア

 現在の佐野がある場所で、もともと海底にあったチャートが、プレートの働きで地上に現れました。海洋プレートで地上へと運ばれたチャート・砂岩・泥岩の中で、チャートは硬くて緻密な構成ですが、他の砂岩・泥岩はチャートに比べて風化に弱い性質です。そのため、砂岩・泥岩は時間の経過と共になくなってしまい、チャートだけが残り、急で険しい崖をつくりました。
 その硬い崖が敵の攻撃を阻み、山城の守りを固めるのに有効となったのです。

 唐沢山城には、チャートを使って守りを固めた場所が他にもあります。
 城の中心部には「四つ目堀」という堀があり、その先にある本丸を防衛する役割を担いました。
 堀の本丸側はチャートの急な斜面になっています。上杉謙信に最も攻め込まれた戦いの際、謙信の隊は堀の近くまで来たという言い伝えがありますが、急で硬いチャートの崖があったため、堀を越えることがとうとうできなかったと言われています。

 唐沢山城を難攻不落の山城としたのは、兵力でも戦術でもなくチャートを利用した城づくりだったのです。

 上杉謙信が亡くなった後、この城を必要とする有名な武将がいました。

 城の中に8mもの高さの石垣があります。つくられた当時、この高さの石垣は関東有数の珍しいものでした。この石垣は、唐沢山城を欲しがった人物がつくらせたものです。
 その人物とは、天下人・豊臣秀吉です。秀吉は土木工事が得意で、戦国時代に色々な所で工事を手がけた武将として知られています。

Q7.豊臣秀吉はなぜ唐沢山城の中に8mもの高さを誇る石垣をつくったのでしょうか?
A7.江戸の徳川家康を見張るため。

徳川家康像 画像引用元:ウィキペディア

 秀吉は安土桃山時代後期に唐沢山城を実質的に配下におさめました。石垣は高い技術を持つ石工の集団を西国から呼び寄せてつくったものです。
 このような高い石垣をつくったのは、徳川家康を見張るためでした。石垣が完成したのは家康が江戸に拠点を移したのとほぼ同じ時期です。上杉謙信が関東を一望したように、見晴らしの良い唐沢山城から江戸の家康ににらみを利かすため、秀吉はこの石垣をつくったと考えられています。

 いよいよ城の中心部、本丸へと進みます。

 かつて城の本丸だった場所は、現在は神社(唐沢山神社)になっています。神社の入口の左右に「鏡石(かがみいし)」が置かれています。鏡石とは、城の入口などに置かれる大きな石で、城主の財力や技術力を示すものです。
 唐沢山城の鏡石は、左右どちらも縦横2.5mほどで、当時のものとしては日本最大級の大きさと言われています。
 その鏡石ですが、左右で色が異なります。左側は明るい茶色のチャートの大岩ですが、もう一方の右側のものは黒っぽい色をしています。

Q8.唐沢山神社の鏡石のうち、黒っぽい色をした石には、化石が含まれています。この石は何岩(がん)でしょうか?
A8.石灰岩(せっかいがん)

石灰岩 画像引用元:ウィキペディア

 岩の中に化石が含まれていることから、この鏡石は「石灰岩」でできたものだとわかります。石灰岩は、サンゴなどの海洋生物の死骸が堆積してできた岩石です。
 佐野は石灰岩が豊富にとれる場所です。
 そしてこの石灰岩こそが次に注目する、佐野が生んだ皆が欲しいものなのです。

 明治時代に近代化政策の中で日本の産業界が欲しがった石材は、セメントの原料として利用される石灰岩でした。

 佐野には石灰岩が今でも採掘されている場所があります。
 車で北に30分、石灰岩を採掘する鉱山へと向かいます。

 そこは大叶鉱山(おおがのこうざん)三峰(みつみね)地区という50年前から採掘が始まっている鉱山で、これまでの採掘量は1億トンにも上ります。

大叶鉱山 画像引用元:経済産業省HP

 大叶鉱山の周辺には鉱山と工場が集まっています。
 明治時代に日本でセメントづくりが始まった頃から、佐野の石灰岩はその原料として使われてきました。現代では東京湾アクアラインの地盤改良に使われるなど、今でも日本のインフラを支えています。

 実は、佐野でとれるのは石灰岩だけではありません。
 一体何がとれるのでしょうか?

 石灰岩とよく似ていますが、ライトを当てると、所々が光る鉱石があります。
 その鉱石の名前は「ドロマイト」。石灰岩の仲間ですが、石灰岩のカルシウムの一部がマグネシウムに置き換わってできた鉱石です。

ドロマイト 画像引用元:ウィキペディア

 石灰岩の鉱山の一部からドロマイトがとれるのですが、日本でここまでの大規模なドロマイトの鉱床は大変珍しいとされています。
 その用途は鉄の製造。ドロマイトは鉄を精錬する「転炉(てんろ)」という炉で使われます。

純酸素底吹転炉 画像引用元:ウィキペディア

Q9.鉄を精錬する際にドロマイトはどのような役割を果たすでしょうか?ヒントはドロマイトにカルシウムとマグネシウムがどちらも含まれていることです。
A9.鉄の不純物を取り除き、転炉の内側を保護する。

 炉の中にはおよそ1600度の解けた鉄があり、そこにドロマイトを加えると、鉱石に含まれるカルシウムが鉄の不純物を除去します。それだけでなく、同時に鉱石の中のマグネシウムが炉の内側を保護するのです。
 ドロマイトは鉄の品質を向上させ、さらに転炉の寿命を長くさせるという一石二鳥の役割を果たします。
 佐野でとれるドロマイトは日本を代表する大手製鉄メーカーをはじめ、各地の製鉄所で使われています。日本のドロマイト埋蔵量の80%あまりが佐野にあるのです。

 佐野は皆が欲しがる鉱石、石灰岩とドロマイトにあふれています。

 石灰岩は佐野を代表するグルメ「佐野ラーメン」にも深く関係しています。
 その関係とはどのようなものなのでしょうか?
 車で南西に30分の場所へと向かいます。

 そこに透き通った湧き水でできた池があります。「出流原弁天池(いずるはらべんてんいけ)」という地下水が湧き出してできた池です。

出流原弁天池 画像引用元:ウィキペディア

 出流原弁天池の下には石灰岩の地層があり、その層を通って水が湧き出しています。この池の澄んだ水は日本の「名水百選」にも選ばれました。
 水が綺麗ということと石灰岩がどう関係するのでしょうか?

Q10.池の下に石灰岩の地層がある出流原弁天池の水はなぜ綺麗なのでしょうか?
A10.石灰岩が水をろ過するため。

 石灰岩が水をろ過して、水の不純物を取り除いてくれるため、池の水が綺麗なのです。
 佐野市にある水道の水源を表した地図を見ると、すべてが谷にあります。佐野の水道は川や湖を水源にせずに、100%地下水が使われています。
 石灰岩の層を通ってきた地下水は、薬品でにおいや汚れをとる必要がなく、とてもおいしいと言われます。
 
 この水が使われているのが、ご当地グルメ佐野ラーメンです。

典型的な佐野ラーメン 画像引用元:ウィキペディア

 佐野ラーメンで使われる生の麺は多加水麺(たかすいめん)です。多加水麺は、麺の4割から5割ほど水が含まれているのが特徴で、麺が水を多く含むためツルツルしたのどごしになります。
 皆が欲しがる佐野ラーメンは、佐野ならではの地質がもたらしたものなのです。

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