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amazon prime video『カールじいさんの空飛ぶ家』
今回は映画『カールじいさんの空飛ぶ家』(ピート・ドクター&ボブ・ピーターソン共同監督)を中学受験的に観るポイントをご紹介します。
ご覧になった方も多いと思いますが、冒険をテーマにした作品ということもあり、アクションあり笑いありの、とても見ごたえのある娯楽作品です。それでも、この映画を単なる娯楽作品ではなく、極めて質の高い「国語の教材」とならしめているポイントがありますので、そのいくつかをご紹介して行きます。今回の分析を踏まえて、ご覧になったことがあるお子さんとも、ぜひもう一度『カールじいさんの空飛ぶ家』を一緒にご覧になってみてください。
この映画の主人公カールは、無口で頑固な老人です。カールと、好奇心旺盛な少年ラッセルが、空飛ぶ家に乗って南米の秘境の滝に向かう、というのがこの映画の大まかなストーリーになります。
老人と少年や少女を主要人物に設定した物語文は、中学受験の国語では頻出パターンのひとつです。一時期、多くの学校で出題された梨木香歩の『西の魔女が死んだ』や、桜蔭・駒場東邦で同じ平成21年度に出題された橋本紡の『永代橋』もそうですし、重松清の作品などでも多く使われる設定です。そうした物語の多くが、はじめは打ち解けなかった両者が、次第に心を通わせて行く様子を描いているのですが、この映画でも、そうした心の変化の過程がしっかりと描かれています。
老人カールは最愛の妻を病気で亡くしてから、頑固になり、外界との接点を持たなくなってしまいます。妻と暮らした家で思い出にこもり、妻との約束である冒険を果たすことのみに固執するようになります。そんな彼の前に、少年ラッセルが現れます。彼がカールの家を訪れたのは、お年寄りの手伝いをすれば、ボーイスカウトからバッジを授与される、という目的のためだけに過ぎませんでした。
妻との約束であった冒険を実現するために、カールの家が空高く飛び立った時、たまたまラッセルが家に紛れ込んでしまっていたことで、二人は一緒に旅に出かけることになります。はじめのうちは、頑固なカールと天真爛漫なラッセルがかみ合うはずがなく、カールに邪険に扱われるラッセル、という構図で物語は進んで行きます。
それがある晩、ラッセルが自らの複雑な家庭環境をカールに語ったところから、ラッセルを見るカールの表情に変化が見られます。二人の関係に変化が生まれた瞬間です。またその場面で、亡き最愛の妻と同じ約束の仕方(十字を切る)をラッセルが偶然したことから、カールがラッセルと妻を重ね合わせた様子も見て取れます。
こうした二人の関係の変化を象徴的に表しているのが、翌日、犬達に二人が追い込まれた時にカールがとっさに見せた行動です。
カールは自らが前に立ち、後ろ手でラッセルを守ろうとします。カールにとっては邪魔な存在でしかなかったラッセルが、守るべき存在に変わった瞬間です。
こうした最初の変化を表す言動がどのようなものであったか、いわばターニングポイントは、中学受験の国語でもよく問われます。この映画でも見逃さないようにしましょう。
その後、二人の旅には、秘境に住む怪鳥ケヴィンと、首輪に翻訳機をつけているために人間の言葉を話す、犬のダグも同行することになります。まるで桃太郎です。この怪鳥を我が物にしようとする(意外な)人物が現れ、物語は冒険活劇の色合いを濃くして行きます。
そんな中、またラッセルがカールに自らの思いを語りかける場面が出てきます。ここを機に、二人の心の距離がさらに近づいて行きます。ケヴィンを巣に戻そうとする場面なのですが、それまで幼い少年にしか見えなかったラッセルが、「自然て、思っていたよりもずっと厳しい」や「つまらないことの方が思い出に残っている」といった、まるで大人のような発言をします。ここにカールはラッセルの成長と、後者の言葉に亡き妻を思い出す自分と共通する想いを感じとったのではないでしょうか。
ちなみにこの場面での会話が、映画のラストシーンと深くかかわってきますので、ここも見逃さず、聞き逃さないようにしてください。
その後の事件で一旦自分の元を去ったラッセルが危険な状況に陥った時、カールは必死になって彼を救い出します。さらに敵に向かって行くカールに、自分も手伝うと言って同行しようとするラッセルを、カールは「お前の無事こそが最上の手伝いだ」と言って止めます。この言葉には、もはやラッセルがカールにとっての愛する対象であることがはっきりと表されています。そして物語は終わりにと向い、カールとラッセルの心の交流も、より深まって行きます。
こうした、二人の関係が変化してゆく様子は、同じ監督の作品『モンスターズ・インク』にも共通しますが、この映画では二人が言葉で想いを表現する場面が多いので、より深くその変化が理解できると思いますし、物語での言葉の重要性も再確認できるのではないでしょうか。
ひとつ注目して頂きたいのが、カールとラッセルの顔の輪郭の違いです。カールは直線的で角ばっていますが、ラッセルは肥満体型ということもあり、大きな卵のように丸いです。二人の性格の違いを、輪郭の違いにもはっきりと表わすという演出の明確な意図が感じられます。
この映画には非常に鮮やかな色彩が、豊富に使われています。しかもその色彩が、人物の心情を巧みに表現していますので、注意して見てみてください。
映画の序盤、幼いカールがやがて大人になり、愛する妻エリーと結婚し、幸せな生活を送る様子がセリフなしで展開する場面は、時に淡く、時に濃く、鮮やかな色彩が画面いっぱいに広がります。それは空の青であったり、丘の緑であったりします。
エリーが病気になってから、二人で丘を登る場面があるのですが、ここでの色彩と構図によく注意してください。まだ二人が若い頃にも同じく丘を登る場面があるのですが、この時の丘は若草の緑に溢れ、また元気なエリーが先に立ってカールを引き連れるという構図です。それが年をとり、エリーが病気になってからの場面では、丘は黄昏色に染まり、今度はカールがエリーを先導しています。同じ場所でありながら、時間が経ち、状況が変わっていることを、色彩と構図のみで説明した大事な場面になります。
そしてエリーが亡くなり、カール一人になった部屋の色彩は、明らかにくすみ、すべての色が明るさを失います。まるで別の家のようです。
そこに、少年ラッセルが表れますが、彼が着ているボーイスカウトの制服は鮮やかな黄色です。まるで太陽の光がカールの前に差し込んで来たかのようです。最初に玄関で二人が話す場面をよく注意して見てください。ラッセルにあたる日の光と、カールにかかる影のコントラストがはっきりと背面の壁に出ています。これは単に暗いカールと明るいラッセルというキャラクターの対比だけでなく、沈み込むカールに新たな未来の光が差し込んできたことを暗示しているとも思えます。
カールの家が風船で飛び上がる場面は、この映画全体の中でも際立って鮮やかなのですが、色とりどりの無数の風船には、冒険に出発するカールの希望と喜びが表現されています。
物語が進み、怪鳥ケヴィンが敵に捕らわれ、ラッセルのカールに対する不信感が生まれる場面、背景に朝焼けの空が映し出されるのですが、闇の中に映える赤の色は濃く、とても深いものです。この朝焼けには、不安と孤独が感じられます。そして、気持ちを切り替えたカールが再び家を飛び立たせる場面、また色彩に明るさが戻って来るのです。
物語の背景に過ぎないはずの色彩が、人物の心情を表現し、色彩そのものが物語であるかのように思わせるところが、この映画の大きな魅力のひとつと言えます。
効果的な色彩表現に触れることは、お子さんが文章を読んで視覚的なイメージを喚起させることにもつながり得ます。例えば、この場面は主人公の悲しい気持ちが出ているから、背景は暗めの色かな、楽しそうに笑っているから華やかな色かな、と想像することからも、お子さんのイメージは膨らんで行きます。
ぜひこの映画で、お子さんに様々な色彩と、その意味するところを見つけ出させてあげてください。
これまでもこのメルマガで映画を取り上げた時には、「象徴的存在」を紹介してきました。この映画では「バッジ」が大きな役割を果たしています。
まず少年だったカールが、はじめて妻となるエリーに出会う場面。同じく冒険好きのエリーは、カールに同志の証として、ジュースのふたで出来た手製のバッジを与えます。このバッジはカールとエリーを結びつけるものとして、その後もまるで形見のようにカールは身につけています。
一方、ラッセルにとってのバッジですが、お年寄りの手伝いをすることで授与されるバッジを手に入れるためにカールの家を訪れたのですから、言わばバッジはカールとの出会いのきっかけと言えます。また途中で明かされるように、このバッジを授与されることが決まれば、普段会えない父親と授与式で会えるという目的がラッセルにはあります。
つまりラッセルにとっては、バッジが父親の存在を認識するものであるとも言えるのです。ラッセルはこれまで獲得したバッジをすべて貼り付けているのですが、まだ得られていない手伝いバッジのために空けてある場所には、どこか空虚な印象を受けます。まるで、父親と会うことができない、ラッセルの心にぽっかりと穴が開いていることを示しているかのようです。
そして映画の終わり、ボーイスカウトの授与式に現れたのはラッセルの父親ではなく、カールでした。ここでカールがラッセルに授与したバッジは、手伝いバッジではなく、エリーから授かったあのジュースのふたのバッジでした。
これは、カールがエリーを忘れ、ラッセルも父親を忘れる、といったネガティブな意味ではなく、カールにとってエリーと同じく、ラッセルも愛すべき存在になったことの証と、ラッセルにとってカールが、父親と同じくらい大事な存在であることを示す、というポジティブな意味が込められていると言えるでしょう。
このようにバッジが人物の心の交流を表す役割を果たしているのですが、実は映画の冒頭にもそのことを逆の視点で表現している場面があります。
カールとエリーの憧れの存在で、後にさらに重要な役割を果たす人物である冒険家のチャールズ・マンツに関するニュース映像が流れます。この中である事件がきっかけで、マンツが冒険家協会から会員資格を剥奪されるところがありますが、その剥奪はマンツの胸の勲章のようなものがはがされることで表現されます。バッジではありませんが、同じく身につけるものがはがされ、このことからマンツは人間不信になってしまいます。
奪われることで人間への信頼、愛情をなくしてしまうということからも、やはりバッジが心の交流を象徴的に表す存在であると言えるのではないでしょうか。
映画『カールじいさんと空飛ぶ家』は、冒険活劇でありながら、人と人との心の通い合いを様々な手法で見せてくれる傑作です。ぜひ楽しみながら、国語の教材として活用してみてください。
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