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2021年度の第62回講談社児童文学新人賞で佳作を受賞した作品です。同賞ではこれまでも森絵都氏、まはら三桃氏といった中学受験の最頻出作家を輩出しており、大賞にあたる新人賞受賞作では、2017年度のこまつあやこ氏『リマ・トゥジュ・リマ・トゥジュ・トゥジュ』、2018年度の水野瑠見氏『14歳日和』が、いずれも翌年の中学入試で最も多く出題された作品となりました。さらに選考委員は、麻布中(2019年度)、鷗友学園女子(2004年度)などで出題された『天のシーソー』の著者・安東みきえ氏、立教女学院中(2010年度)、海城中(2010年度)などで出題された『サナギの見る夢』の著者・如月かずさ氏、日本女子大学附属中(2016年度)などで出題された『うたうとは小さないのちひろいあげ』の著者・村上しいこ氏といった中学受験でも出題実績のある作家が務めています。本作品の帯には安東みきえ氏の推薦コメントが載っています。
難病に苦しむ親戚の大学生が作った映画を手に入れるために、広島の尾道から京都まで旅をする中学生男子と、彼を助けて旅に同行する同級生が心をぶつけ合い、そこから互いの理解を深めて行く過程がストレートな言葉と細やかな心情表現で描かれた本作品は、今年8月末という遅めの時期の刊行ではありますが、中堅校から上位校まで幅広く出題される可能性が高い、心が揺さぶられる友情物語です。
≪主な登場人物≫
イルキ(本名「たけもといるき」。広島県・尾道に住む中学1年生の男子。ハジメからは「イル」と呼ばれている。)
ハジメ(本名「楠木新(くすのきはじめ)」。イルキの同級生で大阪出身。小学3年生の時に尾道に引っ越してきた。両親はカフェ『ふくねこホーニャ』を経営している。)
せいちゃん(本名「森末星一郎」。イルキのいとこの大学生。大阪の芸術大学に通っていたが、難病を患いベッドから出ることもできなくなっている。)
ユーヤ(本名「粉川雄弥(こがわゆうや)」。イルキのクラスメイト。説教と自慢話が多いせいで周りからはうっとうしく思われている。)
≪あらすじ≫
中学1年生のイルキはいとこの大学生せいちゃんを慕っていましたが、そのせいちゃんが難病にかかってしまい、ベッドから出られなくなってしまいます。病状が進行する中で、せいちゃんは「映画を観たい」と言い出しますが、その映画が何かを明かしてくれません。同級生のハジメの協力もあって、その映画が、せいちゃんが芸術大学に在籍中に脚本を書いた自主制作映画であり、現在は京都にその映画があることがわかります。せいちゃんに映画を見せてあげたいと強く願うイルキは、両親に内緒でハジメと共に広島から京都までの二人旅を決行します。
この物語の中学受験的テーマは「友人関係」です。ハジメの思わぬ行動に戸惑いながらも、真正面からハジメに向き合おうとするイルキと、過去に起きた出来事に心を傷めるハジメが、激しくぶつかり合いながらも、心を通わせて行く過程の描写は、中学受験物語文で出てくる友人関係の定番パターンのひとつです。イルキとハジメがストレートにぶつけ合う言葉、そしてその言葉の合間に出てくる細やかな表現から、ハジメの心情の変化とそれによって起こるイルキとハジメの関係の変化を的確に読み取ることがポイントとなります。イルキとハジメの言葉は時に乱暴に見えるほどに激しいものが多いので、それに気を取られて会話以外の部分に出てくる大事な表現を見逃さないように気をつけましょう。
それまで旅に同行していたハジメが急に自分だけは大阪に向かうと言い出したことで、その理由を問い詰めるイルキと、それを拒むハジメが激しいケンカを起こすところから始まる場面です。ケンカの後に、ハジメは自分の過去をイルキに語り出します。作品全体の中でも物語が大きく展開する重要な場面です。大きく揺れ動くハジメの心情を正確に把握して、心情が変わるタイミングでハジメがどのような表情を見せ、どのような言葉を発するのか、文書中の表現を確実におさえましょう。
P.135の5行目に「ここ、バクレツに通行のじゃまやな。もうちょいこっち寄れるか」とありますが、ここでのハジメの様子について説明したものとして、最も適切なものを次の中から選び、記号で答えなさい。
ア.イルキと激しいケンカをしたからと言って、他人に迷惑をかけることは、自分の流儀に合わないことを思い出し、冷静に行動しようと思っている。
イ.頭に血が上ってケンカをしてしまったが、血を流すイルキを見たこと、イルキの父親からの電話に出たことで、徐々に冷静さを取り戻している。
ウ.イルキに問い詰められて興奮してしまったが、傷ついたイルキの姿を見て我に返り、自分に起こった過去まですべてイルキに話そうと心に決めている。
エ.次第に冷静さを取り戻したことで、ケンカになるまで興奮してしまった自分が恥ずかしくなり、いたって普通通りに振る舞おうとしている。
この場面のような流血(意図して殴ったりしたのではありませんが)に至るまでの激しいケンカの描写は、中学受験で出されるような文章では意外と珍しいことです。それほどにまで激しく気持ちをぶつけ合ってから、落ち着きを取り戻したところで、激しくぶつかり合った相手だからこそ自分の弱みが見せられるようになる、といった心情のパターンは、頻出ですので、変化を示す表現をしっかり受け止めて変化の様子を見逃さないようにしましょう。
そしてもう1点、人物の「その時の」心情を把握することに十分注意してください。変化する心情は、それがどの時点のものかによって、内容が全く異なってしまいます。特に変化する前の心情を問われているのに、先読みして変化後のものを答えてしまう間違いがテストなどでは多く起こりがちですので、気をつけましょう。
ここではまず、ハジメの心情の変化を、文章中の表現に注意しながら整理してみます。
イルキと激しくケンカしていたところに、ハジメの携帯にイルキの父親から着信があります。イルキは電話に応じたハジメがそのまま逃げ出すと思っていましたが、ハジメの行動は以下のようなものでした。
ハジメの興奮状態が続いていれば、イルキの思った通り電話には出ずにそのまま逃げ出したかもしれませんし、少なくとも「とぼとぼと頼りない」といった様子にはならないと考えられます。この時点でハジメの興奮状態はおさまっていると考えられます。
さらにその後に、鼻血を出すイルキを気遣うハジメはバッグから実家のカフェのナプキンを出し、以下のように言います。
ケンカした相手を気遣うことができるほどに、ハジメは冷静さを取り戻していると言えるでしょう。それは章の終盤に出てくるハジメ自身の以下の言葉にも表されています。
ハジメが示したケンカの後に相手へ見せる気遣いですが、私たち大人は何度となく物語やドラマなどで見てきましたが、小学生のお子様方にとっては馴染みがない可能性が高いので、イルキを気遣うハジメの心情の理解を確認しておくといよいでしょう。
そしてここから、ハジメが自分の過去を語り出すのですが、ここで先程触れました「先読み」をしないよう注意が必要になります。ハジメがこの後に見せるいくつかの表情を見逃さないで頂きたいのです。
まず、ハジメはイルキに自分が大阪に行こうとしている理由を話します。それは大阪で暮らしていた時にハジメの父親を精神的に追い詰めた会社に復讐をする、というものでした。それを聞いたイルキとハジメが会話を交わす以下の場面に重要な表現があります。
最後の一文、二人が笑い合うという表現に、ハジメの心が和らいでいることが表されています。そして、その後に見せる以下の表情がハジメの心情の変化を追ううえで大きなポイントになります。
ここでハジメが涙を流す理由については十分に注意してください。この後にハジメが語る通り、父親を理解できずにいた自分を悔いる気持ちによるものであることは間違いありませんが、この気持ちをハジメはずっと抱いていました。それがなぜここであふれ出してしまったのか。それは、先程イルキと笑い合ったところで気持ちが和らぎ、そしてイルキが自分の本心を出せる、信頼できる相手であると思えるようになったからと考えられるのです。心許せる相手だからこそ、気持ちを抑えていた「心のふた」がとれて、本心があふれ出した、と読み取ることができます。
この気持ちの抑えがきかなくなって流れてしまう涙は、中学受験の物語文では頻出ですので気をつけておいてください。
気持ちを開放させたことで、ハジメは父親への思いを含めたすべてをイルキに話せるようになったと言えるでしょう。
改めてハジメの心情の変化を、順を追ってまとめると以下のようになります。
(1)大阪行きの理由を問い詰めるイルキに怒りを感じる。→激しいケンカになる。
(2)イルキの鼻血と、イルキの父親からの電話で興奮状態がおさまる。
(3)イルキの怪我を気遣う。→大阪に行きたい理由を話す気持ちになる。
(4)イルキと小さく笑い合う。→心が和らぐ。
(5)抑えていた気持ちがあふれて涙する。→自分の過去をすべてイルキに話す気持ちになる。
実際のテストでは、このように書き出す時間はとてもありませんので、ここまでする必要はありませんが、文章に「ここまでは怒り」「ここで落ち着く」などの書き入れをして、心情変化の流れを整理すると、問題が断然解きやすくなります。
ここで、問題の選択肢を見てみましょう。
まず選択肢のアですが、ハジメが「自分の流儀」と話す場面はありませんので、不適切となります。選択肢のエの「自分が恥ずかしい」について、文章中にハジメが「言わすなや、こんなハズイこと」(P.143の15行目)と言う場面がありますが、ハジメが恥ずかしいとしているのは、「尾道に来てよかった」とイルキに話すことで、自分が興奮したことを恥じるものではありませんので、エも選ぶことはできません。
残った選択肢のイとウですが、ここで「その時の心情」への注意が必要になります。先程の(1)から(5)までにまとめたハジメの心情の変化の段階からすると、問題該当部は(3)の段階となります。選択肢のウにある「すべてイルキに話す」とハジメが思ったのは、心情の変化を重ねて、最後に涙を流してから、つまり(5)の段階になります。問題該当部の段階では、父親への想いを含めたすべてを話すと心に決めているとまでは断言できませんので、ウも不適切となり、正解はイになります。刻々と人物の心情が変わる場面では、どの段階の心情を答えるのかに気をつけるようにしましょう。
イ
どちらの文もイルキから見たハジメの背後にある風景を描写している点で共通していますが、内容は対照的です。このような、文としては似ていても、内容、特にそこに込められた心情が異なるパターンは、実際のテストでも出題対象となることが多くあります。解答のポイントは、異なる文の間に何が起きたのか、何が変化したのかを的確に把握すること。この問題であれば、2つの文の間で、イルキとハジメの関係にどのような変化があったのかをつかむことが必須になります。
文①に出てくる、ハジメの背後から発せられる広告の光は、イルキの目を「突きさしてくる」とあるように、イルキにとっては受け入れられないものであったと考えられます。ここから、イルキにとってその時の状態自体が受け入れられない厳しいものであったと言えます。この場面でイルキはまだハジメから大阪行きの理由を教えておらず、そのことがイルキの心を追い詰めていますので、イルキが抱いた心情は「戸惑い」や「不安」であったと読み取れます。
その後の2人の関係の変化については≪予想問題1≫で整理した通りです。激しくぶつかり合ったうえで、ハジメは自分の過去や父親への想いをすべてイルキに明かし、心を解放させました。そんなハジメをイルキが受け入れたことが、文②の直前にある以下の部分に表されています。
ここで出てくる「ひっつく」は、イルキの住む尾道で「仲良しどうし、ひっついてはねれない」ことを表す言葉「ひっつき、もっつき」からの言葉です。ハジメに、「おれにもひっついとって」というところに、自分の過去を明かしてくれたハジメをこれからも受け入れて支えて行こうというイルキの心情が読み取れます。これからも一緒に旅を続けて行きたいというイルキの希望に満ちた心の内が見えると言ってもよいでしょう。そんなイルキの心情を象徴的に表したのが、文②でハジメの背後に見えている「青い空」であると読み取れます。
「戸惑いや疑問」だった心情が、「晴れやかさと希望」に変わった、といった内容を軸に文章をまとめましょう。
文章①にはハジメの行動が理解できずに戸惑い、これから先への不安が込められているのに対し、文章②には自分の過去を明かしてくれたハジメと互いに支え合って行こうという晴れやかな気持ちと、これからの旅への希望が込められている。
中学生男子の友情を真っすぐに描いた作品です。イルキやハジメの言葉が素直でストレートなため、そこに込められた心情が熱く伝わってきます。尾道から京都への旅という設定も、2人の関係が徐々に深まって行く過程を表すのに奏功しています。人物の言葉だけを見ると粗削りな印象を持たれるかもしれませんが、心情が細やかに描写された場面にも多く出会えます。今回ご紹介した第8章の中の終盤に、問題にはしませんでしたが、ぜひチェックしておいて頂きたい箇所があります。ハジメの告白をイルキが受け止め、旅を再開しようとしたところで、駅の床についたイルキの鼻血を拭き取る2人の様子を表した以下の一文です。
ケンカの後始末として床をせっせと拭き取っている2人の様子を、言葉ではなく「せっせ」という擬態語だけで表したこの一文に、イルキとハジメが心の距離を一気に縮めた空気感が凝縮されています。激しい言葉と細やかな表現。まさに緩急織り交ぜた心情の描写を満喫できる一冊です。
イルキとハジメの旅がどのように終わるか、せいちゃんに映画は届けられるのか、物語は最後まで読み手を強く惹きつけながら進んで行きます。そして物語の最後、イルキとハジメ、そしてユーキの3人の姿を描いた教室の場面では、これぞラストシーンという静かな感動が味わえます。6年生の皆さんは最後まで読み通す時間はないかもしれませんが、時間ができた時に、ぜひじっくりと味わってください。文章自体は読みづらさはありませんので、5年生、4年生のお子様方にもおすすめの一冊です。
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