No.1497 頻出テーマ「親子関係」でありながら、ただの「親子関係」ではない!『恐竜時代が終わらない』山野辺太郎 予想問題付き!

amazon『恐竜時代が終わらない』山野辺太郎(書肆侃侃房)

 表題作の『恐竜時代が終わらない』と巻末の短編『最後のドッジボール』の2編が掲載された一冊です。今回は、短編の方をご紹介します。表題作は、スーパーマーケットの鮮魚売り場で働く男性が、自分が歩んできた過去を振り返りながら、亡き父から伝え聞いた恐竜時代の物語を紹介するという内容で、ファンタジーの要素に満ちた魅力的な作品ですが、中学受験の出典となる可能性が高いのは、短編『最後のドッジボール』の方になります。

 主人公が幼少の頃に、父の胸にある「へこみ」の理由を知りたいながらも、父を恐れて聞き出せないでいる姿の描写から物語が始まり、やがて大人になるに連れて父への考え方を変化させて行く過程が描かれています。

 筆者の山野辺太郎氏の作品がこれまで中学受験で出典となった実績は確認できませんが、頻出テーマである「親子関係」の中でも、「子供が成長する過程で、それまで気づくことのなかった親の想いや生き方を知る」という重要なパターンがじっくりと描き込まれており、来年度入試で注目を集める可能性が高くあります。

 小学生にとっては実感をもって読み取ることができない設定で、使われている語彙のレベルも高いので、男子校・女子校を問わず、上位難関校での出題が予想されます。

★『最後のドッジボール』(P.159~177)

【あらすじ】

 僕(洋太)の父の胸には、熊の手でえぐりとられたような「へこみ」がありました。幼少の頃からそのへこみがなぜできたのかが気になっていた僕でしたが、父の反応を恐れて聞くことができないままでいました。ある時、姉が父にへこみの理由を聞いた際、父は子供の頃にドッジボールをしていてボールをぶつけられたことが原因である、と答えましたが、僕がその真偽を確かめることのないままに、時が過ぎて行きました。就職をして家庭を持ち、実家を離れて40歳になった僕のもとへ、仙台の実家に住む母から、父が心肺停止になった旨の連絡が入ったのでした。

【中学受験的テーマ】

※テーマについては、メルマガ「中学受験の国語物語文が劇的にわかる7つのテーマ別読解のコツ」で詳しく説明していますので、ぜひご覧になりながら読み進めてください。

 この短編の中学受験的テーマは「家族関係」の中でも特に頻出度の高い「親子関係」です。このテーマでは親に反発する子どもが、家族の思いを知り、自分が家族に支えられていることを認識して、心を成長させるといったパターンが典型的ですが、この短編では、親に反発するといった面はほとんど見られず、寡黙な父に幼い頃は怖さを感じ、多く触れ合うことなく成長した主人公が大人になり、家族を持つまでになった時に父の死に際し、そこで初めてこれまで知ることのなかった父の一面に触れ、その生き方に深く感じ入る様子が描かれています。

 大人になって親と同じ立場になったことで、子供の頃には知り得なかった親の想いや生き方に気づく、というパターンは、親と子供の関係だけでなく、親とその親(祖父母)の関係においても描かれることが多くあります。本短編に出てくる主人公の僕と父の関係は、その重要パターンを学ぶうえで格好の題材となります。

 主人公がどのような出来事をきっかけとして、父の想い、生き方を知って行くのかに注目することがポイントとなります。主人公の心情を読み解くヒントとなる言葉を見逃さないように注意しながら読み進めましょう。

【出題が予想される箇所】
『最後のドッジボール』全編(P.159~177)

 短編『最後のドッジボール』の全編を出題対象とします。主人公の僕が幼少の頃から成長するに連れて、父をどのような存在としてとらえるようになって行くのか、その変化を正確に読み取ることがポイントです。

≪予想問題1≫

 

P.174の16行目からP.175の1行目に「そうやってとぼけてみることで、父は自分の身に抱えこんだどうにもならない運命と折り合いをつけながら生きてきたのではないか。」とありますが、ここでは僕から見た父のどのような生き方が表されていますか。最も適切なものを次の中から選び、記号で答えなさい。

ア.自分が重い病気にかかっていることで家族から余計な心配をかけられることでかかる負担にいら立ちを感じ、病気の真相を隠し続けるような生き方。
イ.生まれつき肺が弱いという現実は避けられないものと納得して、受け入れながらも、それに対して悲観的な想いや振舞いは見せないような生き方。
ウ.治ることのない病気にかかってしまった苦しみを受け入れることができず、明らかに嘘である理由を持ち出し、現実から逃避するような生き方。
エ.肺が弱いという状況にあっても明るく元気に生活していることを家族に知らせるために、ドッジボールにも真剣に取り組むような活動的な生き方。

 

≪解答のポイント≫

 父が「漏斗胸(ろうときょう)」という肺の病気のために胸がへこんでいたことを母から聞かされた僕が、「ドッジボールをしていて、ボールをぶつけられたせいで胸がへこんだ」という父の言葉に込められた父の想い、そこから感じ取られる父の生き方に想いを馳せている場面です。

 ここでのポイントは「折り合いをつける」という言葉の意味を正確にとらえることにあります。辞書でのこの言葉の意味は、「交渉において、互いにある程度譲り合って双方が納得できる妥協点を定めること。互いに意見や立場が対立しないポイントを見出すこと。」(Weblio辞書)とありますが、そこから派生して、この場面のような「自分に折り合いをつける」という表現では、「受け入れがたい事実に対して気持ちを整理して、自分自身で納得すること」といった意味になります。

 その意味がわかっていれば、今回の問題の選択肢を区別することはいたって簡単で、すぐに正解がイであると気づくでしょう。ただし、「自分に折り合いをつける」という表現の意味は中学受験生にとっては難しく、想像すらしづらいものです。

 そういった言葉の意味がわからいような場合でも、選択肢の他の要素から正誤を判断できれば、正しい選択肢を選ぶことができます。そこで、ここでは「折り合いをつける」という表現に固執せず、この場面に至るまでの僕の想いの変化を探りながら解答を進めてみましょう。

 まず、僕が、胸のへこみについて語る父の姿を初めて見たのは、小学一年生の時で、それも自分から聞いたのではなく、姉が不意に父にたずねたことによって起きたことでした。
姉の問いに答える父の姿が以下のように表されています。

「子供のころ、ボールをぶつけられた。ドッジボールか?」
末尾はなぜか問いかけるような言い草だった。それから口のなかにこもるように小さく笑った。(P.163の12行目から14行目)

 最後の「小さく笑った」という部分が、問題該当部の「とぼけてみること」につながりますが、まだ小学一年生の僕は、父がとぼけているかどうかまで理解することはできなかったでしょう。

 父の言葉を聞いた後に、胸のへこみの理由が本当にドッジボールによるものなのか、その真偽を僕が確かめることはありませんでした。幼少の僕にとって父は怖い存在であったことが、僕と姉が父の胸のへこみについて話す以下の部分に表されています。

そんなことを父に訊いたらきっと怒られる。凶暴な熊になって吠えかかってくる父……。想像しただけで怖かった。(P.162の4行目から5行目)

 父を恐れていた幼少期を過ぎても、父と僕が、胸のへこみの真相についてざっくばらんにたずねるような関係性になかったことが、以下の部分にも表されています。

平日の帰りは遅く、休日は寡黙な父だった。僕も高校生になるとめっきり無口になり、学校も家も窮屈で、早く抜け出したいと思うようになった。(P.165の11行目から13行目)

 その後、大学進学とともに上京してそのまま東京で就職し、家庭を持った僕が父の胸のへこみの原因を母から聞いたのは、父が亡くなった直後のことでした。
 父の納棺式の前夜、母と姉とその娘と食事をしていた際に、母から聞かされたのは、父が「漏斗胸」という、生まれつき胸がへこむ症状であったということでした。

 真相を聞いた僕でしたが、そこで以下のような想いを抱きます。

ロウトキョウだと言われてみれば、それが真相らしくも聞こえるけれど、ドッジボールか?という問いかけの輝きが損なわれることはなかった。(P.174の15行目から16行目)

 この続きが、問題該当部になります。

 ここでおさえておくべきは、僕が「輝き」という言葉を使っていることです。父の胸のへこみの理由が漏斗胸によるものであることは間違いないところですが、父がドッジボールという、病気とはまるで関係のない理由をあえて使ったことについて僕は、輝きという言葉をもって肯定的にとらえています。

 さらに、問題該当部の直後に以下のような表現があります。

そんなことは何も考えていなかった。と父は言うかもしれないけれど。(P.175の2行目)

 この表現からは、僕が父の作り上げたドッジボールという理由を、讃えるべきものとして認識していることが読み取れます。父があえてドッジボールを理由としたことを、僕が肯定的にとらえた理由は何だったのでしょうか。

 それを知るヒントとなる部分が3か所あります。
 1つ目は、僕が就職した時期での、父への考え方を表した以下の部分です。

地道に働きつづけた父に対して一目置くような気持ちをいだくに至った。(P.165の15行目から16行目)

 そして2つ目は、父が心肺停止となったことを聞いた僕が、仙台へと向かう新幹線の中で、自分が小学六年生であった頃のことを回想する場面です。

 ここでは、東京に出張した父が、僕からパソコンを買ってきてくれるように頼まれた際の一連の出来事がつづられています。最初の目的地の秋葉原に希望の機種がなかったことを父から聞いて、そのまま遠く八王子にまで買いに行かせたことを思い出した僕の想いが、以下のように表されています。

アナウンスを聞いた父はおもむろに立ち上がり、きまじめな表情で、黒いパソコンの入った紙袋を頭上の荷物棚から下した。そんなときが、きっとあったのだ。(P.170の1行目から3行目)

 1つ目の部分では社会人として、2つ目では父親として、父と同じ立場になった僕だからこそ感じることができた、父の真面目さ、優しさが表されていると読み取ることができます。

 そして3つ目は、父が骨折してしまうまで、東北の山々に登りにでかけたエピソードを母が明かす場面で、その時の母の様子が以下のように表されています。

「だから、山登りに行ったって、あの肺で苦しかったんじゃないかと思うんだけど、それを乗り越えるのが好きだったんだね、あの人は」
どこか誇らしげに母が言った。(P.174の1行目から3行目)

 ここで知った父の行動と、自分たちに告げた「ドッジボールで胸がへこんだ」という理由に共通するのは、生まれつき肺が弱いという、どうにもならない運命をかかえこんでいても、それに心を痛め、悲観的に振る舞うのではなく、時に自分の限界に挑み、また時にはとぼけたような理由を子供たちに告げるといった、父のしなやかな強さを表すものであると読み取ることができます。

 だからこそ、僕には「ドッジボールか?」という父の問いかけが、「輝き」を持つものと感じられたと考えられるのです。

 以上を踏まえて選択肢を見てみると、アの「いら立ち」やウの「現実からの逃避」は当てはまらず、またエの「ドッジボールにも真剣に取り組み」という部分について、父がドッジボールに取り組んだ描写がありませんので、不適切と判断できます。よって正解はイとなります。

 問題としては非常に簡単だったと思いますが、この問題の解答を通して、「折り合いをつける」といった難しい言葉の解釈を進めることができます。このように、ポイントとなる言葉の意味がわからなくても、他の要素から解答に至ることができますし、選択肢の文章を通して、わからなかった言葉の意味をとらえることができるのです。

 また、簡単な選択肢問題の解答が他の問題のヒントになるという、麻布中スタイルの出題もありますので、簡単な問題だからといって気を抜かず、正解の中からその後の解答に使えるポイントがないか、慎重に見極めながら解き進める習慣をつけておきましょう。

≪予想問題1の解答≫

 

≪予想問題2≫
P.177の3行目に「体操着の白い厚手の布地越しに、僕の手のひらがはっきりと、へこみを感じ取っていた。」とありますが、この一文には僕の父に対するどのような想いが表されていますか。僕と父の関係の変化にも触れながら、100字以内で説明しなさい。句読点も一字として数えます。
≪解答のポイント≫

 この物語の最後の一文についての問題です。≪予想問題1≫を解き進める過程で得た情報をフルに活用して、僕の想いをまとめましょう。

 問題となる一文は、≪予想問題1≫で取り上げた箇所の後、亡くなった父の近くで眠る僕が見た夢を描いた場面を締めくくるものです。夢の中で僕は、少年の姿をした父とドッジボールをしていましたが、僕の投げたボールを受け止めた父は倒れ、駆け寄った僕に父は以下の言葉を告げます。

「俺はもう、これでおしまい。洋太とドッジボール、できてよかった」(P.176の15行目)

 夢の中ではありますが、父と僕の別れを示唆する言葉となっています。

 ここで気をつけておきたいのが、僕の投げたボールを父が受け止める前には、父の胸にはへこみがなかったことです。僕の投げたボールが原因で父の胸にへこみができたため、父が語っていた「ドッジボールで胸がへこんだ」という理由が本当のものになったと言えるのです。

 ここには、≪予想問題1≫で読み取ってきた、生まれつきの病気と向き合う父の生き方を尊重したいという僕の強い想いが反映されていると読み取れます。

 その根拠として、夢の中で僕がドッジボールに取り組む姿に注目してみましょう。実際の僕が小学一年生の時にドッジボールをする場面(P.164の3行目から14行目)で、僕は敵のボールから逃げ惑ってばかりで、「逃げてばかりいたのに、逃げることすら上達しなかった。」(P.164の4行目から5行目)とあるように、明らかにドッジボールを苦手としていました。

 その僕が、夢の中では以下のような見違えた姿になっているのです。

不意に奮い立つ気持ちが湧き上がってくるのを感じた。思い切り投げてやる。もしかしたら僕にだって、できるかもしれない。(P.176の3行目から4行目)

 ここには、僕の父に対する想いの変化が象徴的に表されていると読み取ることができます。ドッジボールを怖がっていた小学一年生の僕は、父に対しても怖がる気持ちが先立っていました。それが大人になり、父と同じように働く者として、父親としての立場を知ることで、これまで見えていなかった父の優しさや真面目さといった一面を深く思い知るまでに至り、僕が父と真正面から向き合おうとする気持ちになったことが、思い切りボールを投げつけるという行為をもって表されていると考えられるのです。

 僕が感じ取ったへこみは、父が作り上げた「ドッジボールによってできたへこみである」という理由を実現させたい、とする僕の想いによってできたものと考えることができます。つまり、父の胸のへこみは、父と真正面から向き合うことで生まれた、父の生き方を尊重したいという僕の想いを表したものと読み取ることができるのです。

≪予想問題2の解答例≫

 幼い頃には見えていなかった父の優しさや真面目さを、大人になって感じ取ることができるようになったからこそ抱く、病気という運命と折り合いをつけながら日々を過ごしてきた父の生き方を尊重したいという想い。(98字)

【最後に】

 「親子関係」というテーマは頻出で、受験生の皆さんもテキストやテストの問題を通して、様々な親子関係を読み解いてきたと思われます。このテーマの中でも、例えば小学生を主人公に、親に対する反発や、素直になれない心情、あるいは親が見せる深い愛情といった要素であれば、実体験としてはもちろん、体験がなくてもイメージすることに難しさは感じられないでしょう。

 それに対して本短編で表されているような、「親と同じ世代になることで初めて、親としての想いや、生き方を知る」といったパターンは実感を持って読み取ることができないため、一気に難度が増します。

 それでも、中学受験の物語文では、必ずしも等身大の人物が主人公となる作品ばかりが出題されることはなく、上位難関校を中心に、小学生には実感を持って読み取ることのできない世界観を題材とした出題が多く見られるようになってきています。

 ここには、実感はできなくとも、文章中にある解答要素を的確に読み取る力を中学校側が求めていることが背景としてあると考えられます。また、読書や映像体験などの、自分にとって馴染みのない世界に触れる「疑似体験」を通して、物語の世界に対する視野を広げて欲しいという中学校からのメッセージがあるとも思われます。

 本短編はまさに、馴染みのない世界を疑似体験するうえで格好の作品であると言えます。ページ数にして18ページと少ない分量ですが、父と子の関係の変化が凝縮されていて、テーマ学習の教材としての価値が高くあります。忙しい夏休みの中でも、少しの時間で読み進めることができますので、ぜひ本短編のつむぎ出す世界観を味わってみてください。

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