中学受験的「魔女の宅急便」の見方

 今回は映画『魔女の宅急便』(宮崎駿監督)を中学受験的に見るポイントをお話します。1989年に公開されたこの映画は、ジブリ作品ということもあり、テレビでも何度か放映されましたので、お子さんと一緒にご覧になった方々も多いのではないかと思います。この映画『魔女の宅急便』にも、中学受験の国語力を養成するためのポイントがいくつも散りばめられています。そのいくつかを紹介します。

【魔法の力が弱まるということ】

 この映画は、キキという少女が魔女の修業のために訪れた町で、宅急便の仕事を通じて、様々な人々との出会いを重ねて成長して行く姿を描いています。その成長の過程で起こる最も大きな出来事が、キキの魔法の力が突然弱まってしまうということです。弱まった魔法の力をどのようにして取り戻すのか、がこの映画の重要なテーマなのですが、それではなぜキキは魔法の力を失ってしまったのでしょうか。

 その答えはひとつとは限りません。ぜひお子さんの考えを言葉にさせてあげて下さい。この後もいくつかのポイントを挙げますが、そのどれにも同じくお願いしたいことは、お子さんの答えを強く否定しないで、まずゆっくりと聞いてあげて頂きたいということです。お子さんが自由に考えを言葉にできる環境をつくって下さい。一方で、国語力を養成することが目的ですので、必ず確認して頂きたいことがあります。それは、「なぜそう思うか」を確かめることです。お子さんがどのような意見を持っても構いません。ただし、必ずその理由を説明できるようにだけは徹底して下さい。理由のない答案は点数になりません。

 話を戻して、キキの魔法の力が弱まった理由ですが、そのひとつに考えられることを挙げてみます。

 まず、魔法の力が弱まったことがわかる直前、物語として何があったか、悩むキキはそのことを誰にどのように話したか、何がきっかけで力を取り戻したか、を整理してみましょう。きっかけはある優しい老女にニシンのパイを孫に届けるように依頼された仕事からです。必死の思いでパイを届けたにも関わらず、孫がそっけない反応しか示さなかったこと、その仕事を遂行するために、友人となった少年トンボから誘われたパーティーに行けなかったこと、トンボに誘われて飛行船を見に行き、気持ちを取り戻しかけた折に、先の孫に会ってしまったこと。こうした出来事を体験することで、キキの中で、自分の思うようにゆかないこと、人に対して否定的な気持ちを持つことなどが原因で、心の負荷が生じるようになります。

 それまではただ無意識に空を飛べたのに、それからは何のために飛ぶのか、ということを意識するようになります。これはキキが森の中で出会った絵描きの少女に話す言葉に表されています。同じく絵を描くという自分の道を進む中で、「無意識に描くことができなくなった」少女と心を通じ合わせることで、キキの気持ちは前に向き出します。そしてその少女から、「前よりずっといい顔をしている」と、苦しみながら成長することを肯定され、直後にニシンのパイの老女から感謝を込めたケーキをプレゼントされることで、自分の仕事に打ち込む姿勢を肯定されます。そして最後に、暴風で吹き飛ばされた飛行船のロープにしがみついたまま空中を舞うトンボを救出するという目的のために、自分の魔法の力を信じるようになるのです。

 こうして見ると、魔法に対してそれまで無意識に向かい合えた自分から、何のために魔法を使うのかを意識するように変化し、その過程で自信をなくしてしまったことで、キキの魔法の力が弱まったとも考えられます。この変化と、そのために抱える心の苦しみを乗り越えることが、まさにキキの成長であったと言えるでしょう。お子さんはどう考えるでしょうか。

【成長を示す象徴的存在】

 こうして自らの「魔法の力」をめぐってキキが苦しみ、ひと回り大きくなってゆくことを象徴的に示す役割を担ったものがあります。ひとつは「ホウキ」、もうひとつは相棒の黒猫「ジジ」です。ここでお子さんはピンと来るでしょうか?これらがどのような意味で象徴的な存在なのか。これもまた解釈となりますので、あくまで参考としながら、お子さんがどう感じたかを、ぜひ意見交換して下さい。

 まず「ホウキ」ですが、キキが生まれ育った町を出る時から使っていたホウキは、母親から譲り受けたものです。そのホウキの柄がポッキリと折れてしまうシーンがあります。キキが魔法の力を失って苦しみながら、何とか飛ぼうと練習するシーンです。そしてその後、空中に舞うトンボを救うために、キキは必死の思いでホウキではなくデッキブラシにまたがります。ここでキキの魔法が復活を遂げるのですが、キキがこのデッキブラシをその後も使い続けたことがエンディングのタイトルロールで分かります。母から譲り受けたホウキを直すのではなく、自分が選んだデッキブラシを使うキキの姿から、デッキブラシに「母親からの自立」という意味が託されていると考えられます。

 次に黒猫「ジジ」ですが、生意気な話し方も含めて、お子さん達の間でも人気のキャラクターでしょう。ジジは人間の言葉を話しますが、これはジジが話せるのではなく、キキが魔法の力でジジと会話しているのです。そのことは、キキが魔法の力を失った途端に、ジジが猫の鳴き声を発していることから理解できます。その後、キキは魔法の力を取り戻しますが、無事にトンボを救ったキキの肩に登ってくるジジは「ニャー!」と猫の鳴き声を発します。そこで映画が終わるのですが、このジジの鳴き声で映画が終わることは、実は非常に重要な意味を持っているのです。この映画を見た人々の間でもその理由について諸説が飛び交い、話題になりました。キキが魔法の力を取り戻したのに、なぜジジの声は戻らないのでしょうか?その答えとして、ここでは監督の宮崎駿自身の言葉をそのまま引用します。「ジジの声はもともとキキ自身の声で、キキが成長したためジジの声が必要なくなった。変わったのはジジではなくキキ」とのことです。このことを踏まえると、ジジが突然猫の声になってしまった瞬間は、キキが魔法の力を失うのと同時に、迷いながらも確かな成長を始めたことを意味していると言えます。そのキキの成長をジジの鳴き声で表して、ひとりの少女の成長を描いた映画が終わるのです。

【語られない言葉】

 この映画では多くの言葉が省略されています。それは単に遠くから見ていて聞こえないというケースと、説明が省かれているというケースがあります。
 前者のケースが最もあてはまるのが、パン屋のおかみさんオソノの夫(原作ではフクオ)にまつわるエピソードです。もともとフクオ自身が無口で寡黙ですが、そのフクオが帰りの遅いキキを心配そうに待つシーンがあります。帰ってきたキキは、パン屋の店先に、パンで出来た宅急便の看板が作られたことを知ります。それを見たキキがオソノに駆け寄り、短い言葉を交わし、オソノの言葉を聞いたキキがフクオに抱きつくというシーン。その一連のシーンは、パン屋の外から眺めている設定で、3人の言葉は聞こえてきません。そこでどんな会話が交わされたのか。また、説明が省かれているケースには、落ち込むキキにオソノが荷物の配達を頼むシーンがあてはまります。その届け先はトンボ。そこでトンボはオソノからの手紙を見ます。このシーン、手紙に何が書かれているかはわからないままです。ただ、その手紙を見てから後、トンボはキキを名前で呼ぶことになります。そこで、キキの名前を知らせる以外に、オソノはトンボへの手紙に何を書いたのか。

 こうした言葉が省かれたシーンで、その言葉を想像することも重要な国語の演習です。自由にお子さんに考えを述べさせて下さい。強く否定せず、それを受け止めたうえで、今度は親御さんの考えを教えてあげて下さい。そうしたやりとりを通して、お子さんの文章を見る目が養われてゆきます。

【海沿いの道】

 その他の注意すべきシーンとして、キキとトンボが自転車で海沿いの道を暴走する姿が挙げられます。『風の谷のナウシカ』や『天空の城ラピュタ』と比べてアクションの要素が少ないこの映画の中では、際立ってスリリングなシーンです。対向車を避けてギリギリの暴走を続けた自転車は結局大破。それでも「怖かった」と言いながら、キキは大口を開けて、心から楽しそうに笑います。その直後、トンボの友人達の中に、ニシンパイの老女の孫を見たキキは表情を一変させて、ひとり来た道を歩き帰って行きます。
 このシーンではキキの後ろ姿がとても小さく暗く映し出されます。同じ道なのに、行きと帰りで全く違う道のように見せる。キキの相反する心情を反映させた極めて対照的なシーンです。こうした同じものを対照的に見せる表現は、国語の物語文でも頻出です。その効果について、このシーンを題材に、しっかりお子さんと確認し合いましょう。

 夏期講習の前半が一息ついたところで、映画『魔女の宅急便』を見て、色々なことをお子さんと話し合ってみてはいかがでしょうか。

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