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2013年は日本でテレビ本放送が開始して60周年にあたります。入試が実施される年に周年を迎える出来事は、これまでも多くの学校で入試問題の題材として扱われてきました。そこで今回は「テレビ」を題材として、実際の入試問題の分析を通して、テーマ学習を進めたいと思います。
テレビから連想される時事問題として、「地上デジタル放送」が真っ先に浮かぶでしょう。昨年7月24日(岩手、宮城、福島の3県は本年3月31日)にアナログ放送が終了し、地上デジタル放送に完全移行したことは、テレビの歴史上大きな節目となりました。2012年度入試で、この地上デジタル放送は早稲田実業中の理科をはじめ、科目を問わず多くの学校で出題されました。来年度入試でも引き続き注意が必要なので、アナログ放送から移行した理由、映像・音質の特徴、一方で抱える問題点などを整理しておいてください。また、そこから発展させて「ハイビジョン」「ワンセグ」などの言葉の意味もおさえておくとよいでしょう。
今回のメルマガでは、そうした技術的な面でのテレビではなく、メディアとしてのテレビに注目して考察を進めます。具体的には実際に中学受験の国語で出された問題から、テレビあるいはメディアを題材とした文章を取り上げて、その内容を紹介します。ご覧頂くことで、国語の対策になることはもちろんですが、文章の理解を通して、「テレビ」というテーマについての考え方を深めることができます。そのことは例えば社会の問題で「テレビが抱える問題とは何か」など、自分の意見を記述させる問題に対した際の、アイデアの源を増やすことにもつながります。
中には大人が読んで考えさせられる文章もあります。ぜひご覧ください。
まずは前提となる社会の問題です。問題文中の「マスメディアから伝えられる情報をうのみにせず、正しいものを自分で選択して判断することが必要になります」として説明される能力が何かを答えさせる問題です。正解は「メディアリテラシー」です。大人の世界では常識として使っているこの言葉が、中学受験でも問題として扱われているのです。このメディアリテラシーが、国語の文章でも様々なかたちで出されています。
東京女子御三家の二校が奇しくも同じ年にメディアリテラシーをテーマとする文章を出題したことで、当時話題になりました。
桜蔭の『迷子の自由』は、飼い猫がテレビに反応する様子をつづった文章と、映像と人間の記憶の関係について考察した文章という、異なるふたつの文章を通して、実体験をともなわない情報によって現代人がものごとを認識したり記憶したりしていることについて、筆者の考え方が述べられています。《私はライオンを知らない。イラクで毎日人が死んでいることも知らない。知っているのは、目の前で眠る猫たちが愛らしいということだけだ。》という文に、実感はなく、報道される情報だけを通して、戦争について知っていると錯覚してしまうことへの、筆者からの警告が受け取れます。
最終問題で、ふたつの文章に共通して読み取れる、情報や記憶に対する筆者の考えを答えさせています。「共通して読み取れる」というところで、問題の難度が上がりますが、実体験をともなわない情報にふりまわされることで、自分の経験、感覚にもとづいた記憶をおろそかにしてしまうことへの懸念が解答のベースになります。文章中の言葉だけではなく、自分の言葉を的確に用いなければならないところに桜蔭のレベルの高さが見られます。
女子学院の『ほつれとむすぼれ』は、より主観的に筆者の訴えが全面に出た内容になっています。戦争の悲惨さを伝える写真や映像は、映し出す対象の本質を伝えきれない、としています。実体験をともなわない映像が伝えられることに限界があること、それを信じてしまうことの恐ろしさを訴えている点は桜蔭の文章と共通しています。《写真にはとても大切な情報が抜け落ちている。人間は何があっても悲しいだけの存在ではない。もっと強く、もっと多様なのだ。そのことの本質的な意味、命の本質的な力を、写真はやはり伝えることができない。》など、筆者の悲痛とも思える心の叫びが伝わってくる文章です。
爆撃で両腕を失ったイラクの少年の映像について、「私はあの映像を受け入れがたい。」とした表現を取り上げて、その理由を4つの選択肢から選ばせています。問題が求めるレベルは高いですが、映像が本質を伝えきれないことを踏まえれば、正解することは難しくありません。
スイスの文学者アミエルによる、《正しく見るには二度見よ。美しく見るには一度しか見るな。》という言葉を至言とした筆者が、事件とは、一度しか見られないからこそ美しいのに、繰り返し再現されることで、正しいことは正しいが、ただの情報に過ぎないものとなってしまうことを指摘しています。事件に立ち会った際に、《自分じしんの視線の個別性》を捨て去って《ラジオやテレビでそれに接したさらに無数の人びとと同一の光景を共有すること》を重視することが、《生々しい感受性を失いつくして》しまうことにつながると、筆者は危機感を抱いています。メディアリテラシーとは少し異なりますが、テレビの情報に依存することの問題点としてとらえることができます。
文章中でプロ野球観戦を例として扱う場面で、球場に据えられたオーロラ・ビジョンを、「この巨大なテレビは、球場自身による球場そのものの否定である」とした表現について、その意味を71字以上80字以内で説明させる問題です。一瞬観客の瞳をよぎり、次の一瞬には跡かたもなく消えうせてしまうプレーを楽しむべき球場で、オーロラ・ビジョンによってその美しさが捨て去られてしまうことへの懸念が解答のベースになります。
ドキュメンタリー映画の演出が主たる映画監督、想田和弘による文章で、自らがドキュメンタリーを撮る際の考え方が述べられています。テレビという範疇からは外れますが、映像を製作する側の考え方を知ることで、逆に映像を見る側が何を認識しておくべきかを確かめることができます。《自らの陳腐な予想=台本など軽々と凌駕してしまうほど、現実の展開は摩訶不思議で魅惑的である。そして、苦心して用意した台本が単なるチープな机上の空論であったことを虚しく確認させられるばかりだ。》といった、筆者の思いが込められた文が数多く見られる、力強い文章です。
最終問題で、ドキュメンタリー作家が「危険」をともなうにもかかわらず、ドキュメンタリーを撮ろうとするのはなぜだと筆者は考えているか、その理由を50字以上、60字以内で記述させます。予想もつかない現実に、それまでの固定観念が壊される面白さにドキュメンタリー作家が魅了されていることが、解答のベースになります。
本放送60周年を迎えてテレビ放送のあり方が問われてくる場面も多くなってくるでしょう。上記に紹介した学校は、そうした状況がすでに起こっている、あるいはこれから起こるであろうと想定しているのかもしれず、それが今後の中学受験でひとつの重要なテーマになる可能性もあります。ぜひ今回ご紹介した問題をご覧になって、お子さんと意見交換をしてみてください。
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