潜伏キリシタン関連遺産が世界遺産に登録されたニュースが、来年度入試のトピックスとなる3つの理由とは?

こんにちは!入試対策室の貝塚です。 6月30日に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産(以下、潜伏キリシタン関連遺産)」が、世界文化遺産に登録されることが決定しました。
このニュースを中学受験の視点から探ってみると、「なぜキリスト教は禁じられたのか?」「世界遺産としての特徴とは?」「今後の課題とは?」の3つのポイントが浮かび上がってきます。

《なぜキリスト教は禁じられたのか?》

その答えは各時代の統治者たちが、自らの為政を揺るがす存在として、キリスト教に脅威を感じていたことにあります。戦乱期の日本を統一した豊臣秀吉によるキリシタン禁教令は、秀吉が一方で南蛮貿易を進めていたために徹底されませんでした。禁教が本格化したのは江戸幕府の統制下で、1622年の「元和の大殉教」に代表される厳しい弾圧活動が展開されたのです。
こうした17世紀から19世紀までのキリスト教禁教期に、表向きは仏教徒として振る舞いながらも、ひそかにキリスト教を信仰していた人々が「潜伏キリシタン」と呼ばれています。ちなみに「かくれキリシタン」とは、キリスト教が解禁となった19世紀後半以降も、潜伏キリシタン以来の信仰を伝承した人々のことを指します。

《世界遺産としての特徴とは?》

日本国内の文化遺産の登録は、昨年の「沖ノ鳥島」に続き18件目となります。「潜伏キリシタン関連遺産」の特徴として、以下の3つが挙げられます。

  • 日本で初めてのキリスト教に関する遺産
  • 棚田や農地などを含む、生活居住地が世界遺産に。
    1995年の登録された「白川郷・五箇山の合掌造り集落」も生活居住地でしたが、村落景観が主体となるのは初めてになります。
  • 日本最古の教会建築
    「潜伏キリシタン関連遺産」は12の資産で構成されますが、その象徴的な存在とも言える「大浦天主堂」は、日本に現存する教会建築では最古となります。豊臣秀吉のキリシタン禁教令で処刑された26人の殉教者のために建てられました。1865年に浦上地区に潜伏していたキリシタンが信仰を告白した「信徒発見」の舞台として広く知られています。

《今後の課題》

「潜伏キリシタン関連遺産」の多くは、人口が著しく減少している離島や半島部の集落に集まっているため、今後いかにして遺産を保存していくかが、大きな課題となっています。そのそもキリシタン達が身をひそめていた場所ですから、交通の便も悪く、かつては居住地だった場所も、いまは森となってしまった地域も少なくないようです。
日本で初めてキリスト教に関する遺産であり、宗教や文化、歴史的な要素を含めて様々な意義のある世界遺産ですので、より多くの人々に公開されるべきと強く感じます。それだけに、いかに公開されやすい環境が整備されるかが、重要な課題と言えるでしょう。

世界遺産は中学受験で最頻出の時事テーマのひとつです。特に今回の「潜伏キリシタン関連遺産」は受験生の方々にも馴染み深い歴史テーマが深く関わっています。これからも関連するニュースが発信されると思われますので、注意しておくようにしてください。
その際、お手元に地図を用意して、どの場所に関するニュースなのかをチェックしておくと、より記憶が鮮明になります。ぜひ試してみてください。

以上、中学受験の現場から貝塚がお伝え致しました。

中学受験鉄人会 入試対策室
室長 貝塚正輝
(筑波大学附属駒場中高卒)

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