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それぞれ解説の後に、予想設問を3題ずつ読み上げますので、声に出して答えてみてください。少し間を置いて解答を読み上げます。
画像引用元:日刊工業新聞
国土交通省が9月29日に発表した7月1日時点での都道府県地価(基準地価)は、全用途の全国平均が前年比マイナス0.6%で3年ぶりに下落しました。下落地点数の割合は60.1%で2年ぶりに半数を超えました。新型コロナウイルス感染症拡大の影響により、ホテルや店舗といった商業地の需要が急失速しています。経済活動の停滞が長引けば、回復を続けてきた地価が下落局面に転換していくことが考えられます。また住宅地で見ても住宅地はマイナス0.7%で下落幅が拡大しています。
飛鳥時代の後期、公地公民制のもとで班田収授法により国民に貸し与えられた土地を何と言いますか。
口分田(くぶんでん)
「班田収受法」は、6歳以上の男女に、その身分に見合った一定の口分田(土地)を貸し与えて、その代わりに税金を納めさせるという制度です。土地を貸し与えられた人物が死亡した後は、国に返さなくてはいけません。また、過酷な労働と高い税金が課せられるために、その重圧に苦しむ農民の中には、土地を放り出して逃亡する者が後を絶ちませんでした。そして奈良時代での土地制度に対する法律につながっていきます。
奈良時代の743年、聖武天皇は「墾田永年私財法」を発表します。これ以降急速に拡大していった私有地のことを何と呼びますか。
荘園
聖武天皇 画像引用元:ウィキペディア
「墾田永年私財法」は面積に制限があり、きちんと朝廷の許可を得なければならないものの、開墾した土地は永久に私有してよいという画期的な法律でした。これを積極的に取り入れたのが、財力のある寺社や貴族です。彼らは競うように土地を開墾し私有していきました。これは「荘園」と呼ばれ、皆、こぞって口分田から荘園へと移行し、一気に公地公民制の崩れを招いていきます。
第二次世界大戦後、GHQが実施した改革の中で自作農を劇的に増加させた改革は何ですか。
農地改革
GHQが入った第一生命館(1950年頃撮影) 画像引用元:ウィキペディア
農地改革は第二次世界大戦後、GHQによって実施された改革で、1947年から実施されました。不在地主の貸付地全部と在村地主の貸付地のうち北海道以外で平均一町歩(約1ヘクタール)、北海道で四町歩(約4ヘクタール)を超える分を政府が買い上げ、従来の小作農に売り渡し、自作農創設を徹底的に行なうといった制度です。
また、それまで物納であった小作料を金納化するなど、多くの点で改革が行なわれ、日本の農村の近代化に大きな役割を果たしました。
記者会見を行う菅総理 画像引用元:首相官邸HP
日本の衆参両議院は9月16日午後、本会議で総理大臣指名選挙を行い、自由民主党(自民党)の菅義偉総裁(71)を第99代総理大臣に指名しました。
衆議院で菅氏は有効投票総数534票のうち377票を獲得し勝利を収め、閣僚らと共に皇居で天皇による認証式に臨みました。これを経て、正式に菅新内閣が発足しました。
菅首相は、8年近く支えた安倍晋三前首相の路線継承を掲げ、新型コロナウイルスの感染対策や景気の立て直し、経済成長を促す規制改革などに取り組みたい考えを示しています。来年10月に任期満了まで1年余りとなった衆議院の解散時期も焦点となります。
日本では1885年に内閣制度が創設されました。以降菅首相は第99代内閣総理大臣ですが、初代内閣総理大臣は誰ですか。氏名を漢字で答えなさい。
伊藤博文
伊藤博文は1841年に、周防国(いまの山口県)の農民の長男として生まれます。15歳の頃、松下村塾に入り学問を学んだ後、イギリス留学や「岩倉使節団」に参加し日本の近代化の必要性を意識します。やがて明治政府の中心人物となり、日本の近代化を推し進め、1885年には古い太政官制度から新しい「内閣制度」を立ち上げ44歳で初代内閣総理大臣に就任しました。
菅首相は秋田県出身で初の首相になりましたが、東北三大祭りのひとつで、秋田県で行われる夏祭りは次のどれですか。
A.ねぶた祭り
B.竿燈(かんとう)まつり
C.花笠まつり
D.七夕まつり
B
竿燈まつり 画像引用元:秋田市竿燈まつり実行委員会
竿燈まつりは、毎年8月に秋田県秋田市で行われる祭りで、正式名称は「秋田竿燈まつり」です。竿燈全体を稲穂に、連なる提灯を米俵に見立て、額・腰・肩などにのせ、豊作を祈りながら町中をねり歩きます。国の重要無形民俗文化財に指定されており、Aのねぶた祭り(青森県青森市)、Dの七夕まつり(宮城県仙台市)と並んで東北三大祭りのひとつとされています。Cは山形県山形市で開催される夏祭りです。
問題3:
同じ東北地方で秋田県の隣の岩手県出身で、1918年(大正7年)に首相になり、「平民宰相(へいみんさいしょう)」と呼ばれた人物は誰ですか。
原敬(はらたかし)
原敬 画像引用元:ウィキペディア
岩手県出身の原敬は首相に指名された当初から、華族ではないことから「平民宰相」と呼ばれ、国民から歓迎されました。第1次世界大戦以来の好況下での資本主義の急速な発展を背景に、「国防の充実」、「教育の振興」、「産業の奨励」、「交通機関の整備」の四大政綱を掲げて積極政策を推進しました。しかし、首相就任後の積極政策とされるもののうち、ほとんどが財閥向けのものであったこと、度重なる不祥事の発生や、国民の大きな希望であった普通選挙法の施行に否定的であったことなどにより、就任時と比べて国民の原内閣への評価は下がってしまいました。
結果的に、満25歳以上の成年男子全員に選挙権を与える普通選挙法の施行は、1925年に発足した加藤高明内閣で成立します。
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