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今年度入試、ラサール中、栄光学園中、浦和明の星中、淑徳与野中などで出題され、大きな話題となった『朔と新』。その著者、いとうみくの新作『あしたの幸福』もまた、来年度入試で多くの学校での出題が予想される一冊です。
『朔と新』ではブラインドマラソンに挑戦する兄弟の姿が描かれていましたが、本作品は家族をテーマに様々な心の交流がつづられる物語であり、また現在大きな社会問題にもなっているヤングケアラーの姿も描かれている点で、国語の読解力だけでなく社会的なテーマについて考察する力も養成することができる作品と言えます。
≪主な登場人物≫
外崎雨音(とざきあまね・中学生の女子)
国吉京香(くによしきょうか・雨音の産みの母親)
松永帆波(まつながほなみ・雨音の父親の婚約者)
行武廉太郎(いくたけれんたろう・雨音の幼なじみ)
≪あらすじ≫
中学生の雨音は父親と二人で暮らしていましたが、ある日突然の事故で父親を亡くしてしまいます。親戚の家で暮らしたくない雨音は、産みの親でありながら雨音が赤ん坊だった頃に急に家からいなくなり、そのまま父親とは離婚してしまった京香と一緒に生活することを選びます。京香は感情を表に出さず、相手の心情に思いやる様は一切見せることなく、雨音に対しても常に丁寧語で話し、淡々と自分の決めたスケジュール通りにすべてを行うような人物です。そんな京香に雨音は戸惑い、打ち解けることができないままで二人での日々を過ごしていました。そこへ、父親の婚約者であった帆波が訪れ、二人との同居を願い出たことから、雨音、京香、帆波三人の共同生活が始まります。
≪おさえておきたい社会的テーマ≫
本作品は主人公の雨音を中心に物語が展開して行きますが、おさえておくべき重要な社会的テーマが含まれています。雨音の幼なじみである廉太郎の置かれた境遇です。物語の中で、両親が離婚し、母親と二人で暮らしている廉太郎が、うつ病になった母親の身の回りの世話をしている様子が何度か出てきます。廉太郎のような、18歳未満でありながら、家族の介護や身の回りの世話を担わなくてはならない状況にある子供は「ヤングケアラー」と呼ばれ、昨年12月から今年1月にかけての国の実態調査では、そうした状況にある子供たちが、中学生のおよそ17人に1人に上ることが分かりました。物語の中にそうした深刻な社会現象が含まれていることも、おさえておいてください。
様々な家族のかたちが描かれた物語の中で、中学受験的にはどこに注目しておくべきか、以下に記して行きます。
本作品の中学受験的テーマは、「心の距離感」です。
雨音が同居する京香とどのように心の交流を重ね、心の距離を縮めて行くのか、そして京香に心を許した雨音の心情がどのような行動に表れているのかを的確に把握することが読解のポイントになります。
また、幼なじみの廉太郎に対する雨音の接し方にも注意が必要です。同じく心の傷を負う雨音だからこそ理解できる心情があることを読み取りましょう。
どちらにも共通しているのが、表面的な言動だけで人物の心情、心の距離感を解釈してしまわないこと。怒りの感情をぶつけている場面で、その人物には相手への憎しみしかないと思い込んでしまうと、細かな心の動きがつかめなくなってしまいます。また、相手の気持ちを考えるからこそ、あえて親切な言葉をかけないという行動があることを理解しておく必要があります。その場の人物の言動だけでなく、周りの人物の言葉や、文章中に見られる人物の心の声をしっかりつかむことで、表面的ではない人物の言動をとらえることができ、心の距離感の読み取りが断然進めやすくなります。
うつ病を患う廉太郎の母親が、雨音達の乗る車の前に急に飛び出してしまったことから、母親に付き添っていた廉太郎と雨音が偶然に出会う場面です。
事故で父親を亡くした雨音だからこそ抱くことができる、心に傷を負った相手への想いとはどのようなものなのか、そして怒りは、必ずしも相手への憎しみからのみ成るものではなく、心を許した相手だからぶつけられることもあるという点をしっかりと読み取りましょう。
P.214の9行目「ぐっと奥歯を噛(か)みしめた」とありますが、この時の雨音の様子を説明したものとして、最も適切なものを次の中から選び、記号で答えなさい。
ア.廉太郎を刺激してしまうことで、幼い頃から築いてきた廉太郎との関係が壊れてしまうのではないかと恐れている。
イ.ここで手を差し伸べることが廉太郎の母親のためにならないことを理解できない帆波に、憤りを感じている。
ウ.幼なじみとして自分が率先して廉太郎達を送るように言わなければいけないのに、それができない自分を責めている。
エ.廉太郎に声をかけてあげたいが、それがかえって廉太郎を傷つけることになると思い、何もしないでいるように心に決めている。
この後のP.218の10、11行目に、解答のポイントとなる雨音の言葉が書かれています。
また、P.223の4行目で、雨音が京香に放った以下の言葉にも同じ内容が込められています。
これらの箇所から、廉太郎を傷つけないように、あえて何も言わずにいることが、友だちとしてとるべき行動であると、雨音が強く感じていることがわかります。
よって答えはエとなります。
解答にあたっては、まずはアとウをすぐに消去できるようにしましょう。イについては、雨音が傷つけたくないと思っている相手が廉太郎であり、彼の母親ではないことから適切ではありません。
エ
廉太郎から雨音に発せられた他の言葉に注目してみましょう。
まずは、P.229の7行目「ていうか、言える人なんだ」という言葉、そしてP.230の13行目から、P.231の1行目にある以下の廉太郎の言葉に、解答のポイントが見つけられます。
「他人にだったらあんないいかたしないだろ。(中略)あんなふうに言うってのは、身内だから、あ、ほら甘えってやつ」
雨音自身は京香のことを母親とは思っていないと主張していますが、廉太郎は、雨音が言いたいことを遠慮なく、はっきりと言えるのは、京香に甘えられているから、と考えています。ここで言う「甘え」とは、ただわがままを言うということではなく、「心を許している」という意味になる点に気をつけましょう。
そこで、P.229の「言える人」とは、「心を許しているからこそ、言いたいことを遠慮なく言える人」と言い換えられます。
雨音が京香に甘えられる理由ですが、P.233の4行目「ちゃんと外崎のこと大事に思ってくれている人たちがいて」という言葉にあるように、京香と帆波が雨音のことを大事に思っているから、と廉太郎は考えています。同じページの6行目の「外崎もわかってるだろ」という言葉を雨音が否定しなかったことから、雨音自身も京香と帆波に大事に思われ、2人との共同生活に心の居場所を見つけられたことを自覚している、と読み取れます。
以上の内容を、字数に注意して構成を考えながらまとめてみましょう。
自分のことを大事に思ってくれているという安心感から、言いたいことを遠慮なく言うことができる存在。(48字)
父親を突然の事故で亡くした雨音、うつ病になってしまった母親を一人で介護しなければならない廉太郎。中学生でありながら、自分の意志の及ばないところで厳しい環境に身を置かざるを得なくなった二人の心情が、以下の雨音の言葉に集約されています。
逃げ場のない苦境に置かれる二人が、互いを思いやり、励まし合う姿、そして雨音を支える京香と帆波の言葉の数々に強く胸を打たれます。重いテーマを取り上げた作品ですが、飾り気がなく、それでいて深い優しさを内包している人物たちの言葉のやりとりに満ちた本作品は、長編作品ですが一気に読み進められます。
特にP.187の4行目からP.203の最終行にある、洋食屋で雨音と帆波が会話を交わす場面は、読んでいて涙がこらえられなくなる程に、深い優しさと煌めく美しさに満ち満ちています。
来年度の中学受験で出題必至であるだけでなく、読み物としても深い感動を得られる傑作です。
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