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辻村深月氏と言えば、これまで『ロードムービー』が渋谷教育幕張中(2010年度)、市川中(2017年度)などで、『サクラ咲く』が、早稲田中(2019年度)、鎌倉女学院中(2019年度)などで、『家族シアター』が麻布中(2016年度)、慶應義塾湘南藤沢中等部(2019年度)、洗足学園中(2017年度)、頌栄女子学院中(2019年度)、吉祥女子中(2021年度)などで、『島はぼくらと』が海城中(2014年度)などで出題されてきた、中学受験の最重要作家のひとりです。
その辻村深月氏による本作品では、コロナ禍で友人関係や家族関係に起こる、思いも寄らない変化に直面し、様々な悩みや苦しみを抱えた中高生たちが、天体観測を通じて新たな人間関係を構築しながら、自らとの向き合い方を変化させて行く過程が、細やかな筆致で描かれています。主人公は一人に限定されず、茨城の学校で天文学部に所属する高校生女子、東京で学年ただ一人の男子という環境に戸惑う中学生男子、長崎の五島で実家が旅館を営む高校生女子といった三人を軸に、それぞれの舞台で独立して物語が進み、やがて彼らがオンラインを通じて繋がり合い、自分の悩みを打ち明けるなどの時間を経ることで、新たな絆を深めて行くといった群像劇になっています。
辻村深月氏ならではの、登場人物たちの心の移ろいが鮮明に浮かび上がってくる心情表現が満載であり、さらに「コロナ禍と向き合う」という、新たな重要テーマに真向から取り組んでいる点で、今後の中学入試の新たな定番作品となること必至の傑作です。特に現在の6年生、5年生の皆さんは、小学校生活の中で、コロナ禍によって変化する前後の生活をリアルに体験していますので、そこで感じたことを踏まえて本作品で描かれる世界を読み取って欲しいという中学校の先生方の意向が強いと思われることから、来年度入試、再来年度入試で出題が一気に集中する可能性が高いでしょう。
内容としてはどの学校で出題されても不思議ありませんが、全480ページ超の長編で、児童書ではなく大人も読者対象となる一般文芸書であることから、男子校・女子校問わず上位難関校での出題が濃厚と考えられます。
出題対象となり得る箇所は数多くありますが、今回は長崎県の五島を舞台とした女子高校生・円華(まどか)を主人公とした物語について解説を進めて行きます。
≪主な登場人物≫
佐々野円華(ささのまどか:長崎県の五島に住む高校3年生女子。実家は旅館を営む。吹奏楽部に所属している。)
武藤柊(むとうしゅう:円華のクラスメートで野球部に所属する高校3年生男子。島の外から留学生を迎える離島留学制度で、福岡から五島に来ている。)
小山友悟(こやまゆうご:武藤と同じく島への留学生で神奈川から来た高校3年生男子。弓道部に所属している。)
福田小春(ふくだこはる:円華の幼なじみで、同じく吹奏楽部に所属している。)
浦川陽子(うらかわようこ:円華たちが通う学校の教師で、吹奏楽部の顧問。)
≪あらすじ≫
長崎県の五島に住む高校3年生の円華は、同じ吹奏楽部に所属する幼なじみの小春から、「しばらく別々に帰りたい」と突然告げられます。円華の実家が旅館を経営し、島外から客を迎え入れていることで、新型コロナウィルス感染への不安から、距離を置かれてしまったのです。孤立する状況に耐えられない円華は、顧問の浦川先生に吹奏楽部を休部する旨を伝えます。そんな円華に、クラスメートの武藤が五島の山の頂にある天文台に行かないかと声をかけます。
この作品は「苦境に向き合う」というテーマの中でも、コロナ禍に特化した「コロナ禍に向き合う」という新たなテーマをメインに、「友人関係」「家族関係」といったテーマが織り込まれる構成になっています。「苦境に向き合う」というテーマでは、いじめや、災害、マイノリティに対する差別など、自分の力ではどうしようもないような困難の中で、自分に向き合い、成長する過程が描かれますが、そこに「自分たちの意志と関係なく強制的に距離を離される」「感染への不安から意図しないままに相手を傷つけてしまう」といった要素が加わるところに「コロナ禍に向き合う」というテーマの特性があります。
今回取り上げる、五島に住む円華のエピソードでは、コロナ禍によって親友との関係が変化してしまったことに苦しむ円華が、天文台での天体観測という場を通じて、新たな友人関係を築くまでの様子が描かれています。コロナ禍が、友人関係にどのように影響を及ぼしているのか、新たな友人関係を円華がどのように築いて行くのか、を把握することがポイントになります。
前半は吹奏楽部を休部することを顧問の浦川先生に伝えた円華が、武藤から天文台に行こうと誘われる場面、後半は天文台での星座の観測を終えた円華が迎えに来た母親と帰宅する道中で会話を交わす場面です。実家の旅館がコロナ禍の影響を受ける中で、円華がどのような友人関係の変化に直面したのか、その後天文台を一緒に訪れた武藤、小山との間に新たな友人関係を築くまでに、円華の心が何をきっかけにどのように変化していったのかを、丁寧に読み取りましょう。
「ありがたい」と「苦しい」という相反する感情が心に共存する、物語文読解で多く問題対象となるパターンのひとつです。前後の文脈から、それぞれの感情の内容を丁寧に読み解き、それをわかりやすく比較して表現する、といった流れをしっかり身につけましょう。
まず、コロナ禍にあって円華がどのような状況に置かれたのかを明確に表した言葉が、出題が予想される箇所の冒頭に以下のように記されています。
ここで言う「コロナ対策」とは、教室での昼食時に、「机を前に向けたまま、誰とも話さずに黙々とお弁当を食べる」(P.96の9行目)ことで、本来であれば息苦しさを感じてしまうところが、このかたちに円華が感謝しているという、逆説的な表現になっています。このような本来とは逆の感情を抱く表現が出てきた際には、その人物の置かれた状況がより厳しいことが示されていることが多くありますので注意しましょう。
円華がこのように考える理由が、少し先の部分で以下のように表されています。
実家の旅館がコロナ禍に島外からの客を迎え入れていることで、小春や他の吹奏楽部の部員からも距離を置かれてしまった円華にとって、息苦しいはずのコロナ対策が、むしろ自分が孤立してしまった状態を見えづらくしてくれている、という皮肉な状況になっているのです。
コロナ対策という日常とはかけ離れた状態の中で、その受け止め方が個々人の抱える悩みや苦しみによって全く異なってくることが表された、貴重な場面となっています。
そんな円華の状態は、以下のようにも表されています。
「行ける場所のあてがない」という言葉に、円華の置かれた厳しい状況が集約されています。
円華は教室内だけでなく、小春と同じく所属している吹奏楽部でも小春や他の部員たちとの間で、物理的な距離だけでなく、心の距離までもが遠くなっていることを感じていました。
顧問の浦川先生に休部を申し入れた際に、円華はその理由を以下のように話します。
自分の居場所がないことを感じたまま部活に参加するのであれば、休部した方がまだ気持ちが楽と感じるほどに、円華が現状に苦しんでいることが読み取れます。
ただ、円華が抱える苦しみは、単に部活の中で小春や部員たちとの心の距離を感じてしまっていることに起因するだけでなく、もっと複雑なものなのです。
それを表しているのが、問題該当部の直前にある以下の部分です。
ここで言う「元の世界」とは、もちろん新型コロナウィルスの感染が収束して、普段通りの生活が戻ることを指し、そうなった時に、小春との関係が元通りに修復するように、疎外されても、怒らず、挨拶し続ける、とあります。
状況の複雑さを的確に表したのが、問題該当部の直前にある以下の部分です。
自分に対して小春たちが取る態度に対して、小春に怒りをぶつけたり、互いに挨拶もしないでいる方が、まだ気が紛れるかもしれません。ただ、小春が円華と距離を置くのは、コロナ禍だから、いつか「元の世界」に戻れることが決まっているからであって、円華をいじめたり、差別したりするためではない、ということが、表向きには円華と小春の共通認識になっている以上、小春の態度を否定することはできない。そんな円華の想いが表されているのが、以下の部分です。
小春との関係は修復したいし、コロナ禍さえ収束すれば修復できるはずで、その時のためにも「揉めた」という関係悪化を目に見えるかたちにはしたくないという円華の想いが、この部分に込められています。
円華自身の言動が原因となって、友人たちから距離を置かれてしまったのではなく、コロナ禍という外的な理由によって「強制的」に距離を置かれてしまったことが、複雑な状況を生み出しているのです。
さらに、コロナ禍の生活がいつまで続くのかがわからない、終わりが見えないこともまた、円華の心を重くしています。それが表されているのが、以下の部分です。
曖昧でありながら、終わりが見えないことをはっきりと示す「落ち着くまで」という言葉が円華を苦しめていることがわかります。
以上から、問題該当部の「苦しい」については、コロナ禍のために強制的に小春との間に距離が生まれてしまい、いつか元の生活に戻って小春との関係が修復する時のために、現状への不満を口にすることもできずに表向きの姿勢を保たねばならないこと、そしてそれがいつまで続くのかがわからないことに円華が苦しんでいるとまとめられます。
一方の「ありがたい」については、現状とは逆に、問題該当部にあるような「はっきり仲間外れにあったり、いじめとか」を円華が受けてしまう状態になってしまっては、小春との関係は完全に崩壊してしまい、修復は不可能になるため、現状の表向きの姿勢がありがたいと円華が考えているとまとめられます。
コロナ禍前の生活に戻った際に小春との関係を戻すためには、明らかに疎外されていない状況をありがたいと思う一方、小春との距離を強制的に離されてしまった現状を、それがいつまで続くかもわからないままに受け入れるしかないことに苦しさを感じている。(118字)
同じ言葉が使われていながら、その言葉の意味する内容が異なるような表現について、その違いや変化を正しく説明させるという、これもまた≪予想問題1≫と同じく頻出の出題パターンです。
AとBに共通して使われる「友達」という言葉が、それぞれの箇所でどのような違いをもって使われているのか、円華の心の中にどのような変化が生じたことでその違いが生まれたのかを的確に読み取って解答を作成して行きましょう。
Aで「心がすっと冷静になる」と、円華の心が変化した様子が描かれていますので、その変化の内容を確認するために、問題該当部の直前を見てみます。その際、「冷静になる」という言葉が、落ち着いて行動する、といった時に使われるような肯定的な内容とは限らないことに注意しましょう。
問題該当部の直前には、クラスメートの武藤に天文台に一緒に行くように誘われた時の円華の様子が以下のように表されています。
「図々しいこと」とは、野球部のエースである武藤が、自分に好意を持っているから誘ってくれたと考えることで、明らかに円華が舞い上がっている様子が読み取れます。この「図々しい」の内容について、本文では詳しく説明されていません。恋心を表す言葉の意味するところは、中学受験生の皆さんにはイメージしづらいものですので、読解問題で触れる度に、気をつけて理解を重ねて行くようにしましょう。
そんな円華を「心がすっと冷静」な状態にさせたのが、「友達」という言葉でした。これは武藤が天文台に行くのに、友達も連れてきて構わないと話したことを受けています。「友達―誘えるような、友達。」という円華の言葉から、小春と距離を置かれてしまった自分には誘える友達などいないことを、円華が改めて感じていると読み取れます。
この部分は、円華の言葉を淡々と挙げているだけで、その心情を読み解くヒントが少ないですが、舞い上がった気持ちが一気に冷静になる、いわば冷めてしまうということから、心を重くする内容を円華が瞬時に思い浮かべたと読み解き、それが何かを考えれば、「誘えるような友達」という言葉からも、円華が小春のことを想っていることは容易に理解できるでしょう。
一方のBですが、ここでは問題該当部に至るまでの、円華と母親の会話を通して、円華の心情がどのように変化して行ったのか、円華と母親の「親子関係」に注目しながら、読み取って行きましょう。
円華は天文台に行くにあたり、誰と一緒に行くかを母親に告げていませんでした。これまでの交友関係から考えれば、一緒に行くのは当然小春であると母親が思うと考えた円華は、小春との距離が離れた現状を母親に知られたくないために、ただ「友達に誘われて」とだけ母親に告げます。小春との関係が変化した原因が旅館を経営している点にあることを、どうしても母親には知られたくないという円華の想いがあることをしっかり踏まえておきましょう。
その時の円華の不安な様子が以下のように表されています。
結局、母親に追及されることなく円華は天文台に行くことができ、その帰り、車で迎えに来た母親が武藤と小山に対面します。
一緒に行った相手を知った母親に対して、円華は以下のように問いかけます。
母親の小春との関係が変化したことを知られたくないと思いながらも、母親に対して今の状況を黙ったままでいることに円華が耐え切れなくなっていたことが、「気持ちが燻っていた」という言葉からも読み取れます。
ところが、そんな円華の問いかけにも、母親はのんびりと答えるのみでした。
実は円華が天文台に行く前日、吹奏楽部の顧問・浦川先生が円華の母親に、円華が休部しようとしていること、そのことに反対であることを電話で話していたのです。
円華が不本意ながら休部を申し入れ、そのことで苦しんでいることを知った母親は、言葉にこそしないまでも、小春との関係に変化があったことも察知していたと推測されます。だからこそ、天文台に一緒に行く相手について、一切追及しなかったのでしょう。
そして母親は円華に、以下のように言葉を向けます。
この母親の言葉に円華がどのように反応したのかは書かれていません。ただ、武藤、小山について円華は母親に以下のように語ります。
この直後が問題該当部で、そこで円華が「胸がぎゅっとなった」と表されています。
この表現が、円華が喜びをかみしめていることを示しているのは言うまでもありません。そのような感情を抱くことができたのは、コロナ禍で旅館の経営も厳しい中にあっても母親が自分のことを見守り、助けてくれようとしている。一緒にこれからのことを考えようとしてくれたことを知って、その喜びを言葉にしないまでも、円華が心を解放させ、新たな友人関係を築いて一歩を踏み出す気持ちになれたためであると考えられます。
問題該当部の直後、円華の言葉を受けた母親の様子が以下のようにつづられています。
新たな一歩を踏み出す円華の背中を穏やかに、それでも強く押してくれる、優しさに満ちた言葉です。
また、武藤と小山と天文台から帰る道すがらの様子について、円華が以下のように語った場面も見逃さないようにしましょう。
以前までは小春やクラスメートと交わしていた「とりとめのない話」から遠ざかってしまっていた円華だからこそ、武藤と小山と過ごす時間が一層楽しく感じられたと読み取ることができます。
解答をつくる際には、心情の変化を理解していることがしっかり伝わるように、「Aでは…だが、Bでは…」のような構成でまとめましょう。
Aでは誘える友達がいなくなった寂しさを強く感じていたが、母親が苦しむ自分を見守ってくれていることを知り、前へ向いて進む気持ちになることができたため、Bでは武藤と小山と新たな友人関係を築くことの喜びをかみしめられるようになった。(113字)
コロナ禍という誰もが経験したことのない苦境の中にあって、本作品の登場人物たちはそれぞれに悩み、苦しみに直面します。その苦しみの深さが以下のような表現に込められています。
日常が急に失われてしまったことへの不満、それがいつまで続くか先が見えない不安、そして自分たちに落ち度がなくても周りの目を意識してしまう状況を受け入れざるを得ないつらさ。そうした心にかかる大きな負荷を抱えながらも、登場人物たちは天体観測という共通の目的をもって繋がり合い、互いに支えないながら、前へと進んで行きます。茨城・東京・長崎と遠く離れた場所にいても、コロナ対策の中で一気に浸透したツールである「オンライン」を通じて親交を深め合って行く彼らの姿には、コロナ禍という状況をむしろ逆手にとって、物理的に離されても心の距離を縮めて行こうとするたくましさが感じられます。物語の終盤の以下の言葉は、そのたくましさが色濃く反映されたものです。
この物語の登場人物たちのように、受験生の皆さんもコロナ禍という厳しい状況の中で、「制限されるつらさ」をいくつも味わってきたと思います。そんな皆さんにこそ、苦しみに耐えながらも互いに支え合いながら挑戦をくり返し、何度も涙を流しながらも歓喜の瞬間を勝ち取って行く彼らの姿に、ぜひ触れて欲しいと強く願います。
長編作品ではありますが、場面が次々に展開して行きますので読みづらさはなく、何より天体観測に打ち込む登場人物たちのパワーは読み手の心を強く惹きつけるもので、気が付けばページをめくる手が止まらなくなる程に、作品の世界に引き込まれて行きます。本作品を読み通すことで得られる充実感、多幸感は稀有のものです。ぜひこの傑作を手に取ってみてください。
最後にひとつ、本作品には麻布中などで出題された、同じ辻村深月氏による短編集『家族シアター』に収録された『1992年の秋空』と深いつながりが見られる、ちょっとしたサプライズが隠されています。物語を読み進めるのがさらに楽しくなるサプライズです。『1992年の秋空』も多くの学校で出題された名作ですので、ぜひ両作品を合わせ読んでみてください。
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