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amazon『おくることば』重松清(新潮社)※文庫本です。
重松清氏と言えば、『半パン・デイズ』『きみの友だち』『小学五年生』など、その作品が数えきれないほど多くの学校で出題され、2023年度入試でも『バスに乗って』(『小学五年生』に収録)が攻玉社中・第1回で出題されるなど、長きにわたって途切れることなく出題され続けている、まさに中学受験物語文の最重要作家です。その重松清氏による本作品は、「コロナ禍」をテーマに、早稲田大学で教壇に立つ重松清氏がゼミに参加する生徒たちに向けてつづった随筆と、短編の物語で構成されています。今回は、その中の物語の一編『反抗期』をご紹介します。コロナ禍の小学校を舞台に、マスク着用について様々な想いを抱える小学6年生たちの心の揺れ動き、友人関係の変化が、重松清氏ならではの一見何気なく見える言動の中に深い想いが込められた表現の数々で描かれています。重松清氏の作品であり、コロナ禍をテーマとした短編作品となれば、来年度入試で注目を集めることは必至です。男子が主人公で、男子らしい言葉遣いが目立ちますので、男子校・共学校の中堅校から難関校を中心に、幅広く多くの学校での出題が予想されます。
≪主な登場人物≫
ユウ(小学6年生男子。コロナ禍で学校からマスク着用を強制されることに違和感を抱いている。)
トモノリ(ユウと同じクラスの小学6年生男子。わがままで短気で怒りっぽいところがあるが、ユウとは親友の関係。学校内で隠れてマスクをはずすことを画策する。)
アツシ(ユウと同じクラスの小学6年生男子。田舎の祖母が同居することになり、ユウたちと距離を置くようになる。)
サエコ(ユウと同じクラスの小学6年生女子。ユウとは幼稚園の頃からの幼なじみ。中学受験のため塾に通っている。)
リョウタ・シンタロー(ともにユウと同じクラスの小学6年生男子。トモノリの計画に従って「マスクはずし」に参加する。)
≪あらすじ≫
小学6年生男子のユウは、コロナ禍にあって学校からマスク着用を強いられる現状に違和感を抱き、不満を募らせていました。同じクラスで親友のトモノリが提案した、体育館の裏で隠れてマスクをはずすという計画に参加はしますが、マスクをはずすことへの不安を拭えずに、乗り気になれずにいます。同じクラスのアツシも「マスクはずし」に立ち会ったものの、マスクをはずすことなく立ち去ってしまいます。田舎に住んでいたアツシの祖母が、地元の医療環境への不安からアツシの家に同居するようになり、大好きな祖母にコロナを感染させることを恐れるアツシがユウたちとの接触を避けざるを得ないでいることを、ユウは母親から聞かされたのでした。
この短編は、「苦境に向き合う」というテーマの中でもコロナ禍に特化した「コロナ禍に向き合う」という新たなテーマと頻出テーマ「友人関係」を交えた構成になっています。「コロナ禍に向き合う」というテーマについては、7月29日配信のメルマガ「No.1349 来年度入試、再来年度入試で出題が一気に集中する可能性が高い稀有の傑作!『この夏の星を見る』辻村深月 予想問題付き!」でも作品のメインテーマとしてご紹介しましたが、『この夏の星を見る』の登場人物たちが中高生であるのに対し、本短編は小学6年生の男子、女子がコロナ禍に向き合う姿を描いており、理不尽なマスク着用の強要への彼らの憤りや、日々の生活の閉塞感に対する不満が、小学生らしい、時に不器用で粗暴とも言える言動を通してストレートに表されています。そしてコロナ禍でもがきながらも、友人の置かれた境遇に想いを寄せて、その苦しみ、悲しみを受け入れることで心の成長を果たすといった「友人関係」の定番パターンもじっくりと描かれています。重松清氏の作品で多く見られる、ただ嬉しい、悲しいといった明確な枠組みの中に収まりきらないような、小学生たちのリアリティに満ちた心情の描写を丁寧に読み取ることがポイントになります。
ユウがトモノリに学校での「マスクはずし」をやめるように訴えてからの2人のやりとりをつづった場面と、クラスであらぬ疑いをかけられているサエコを見守るユウの姿を描いた場面で構成されます。「マスクはずし」に対して真逆の態度をとるユウとトモノリが、実は共通して抱いている想い、そして苦しむサエコに対してユウがとった行動の真意を正確に読み取ることがポイントになります。トモノリとサエコが見せる表面的な言動に惑わされず、2人の性格やユウとの関係を的確に踏まえて、言葉の重複に気をつけながら、人物たちが心の内に抱える想いについて、丁寧に読み取って行きましょう。
ユウとトモノリの関係を如述に表しながら、この短編のタイトル『反抗期』が持つ意味を暗示している重要な場面です。
まずはユウが「正反対」としながらも、「同じものをオモテとウラから見ているだけ」と感じたきっかけになる、問題該当部の直前に表されたトモノリの言葉を確認しましょう。
学校でマスクをはずすことをやめるように訴えたユウに対し、ユウは以下のように答えます。
ここでポイントになるのが、トモノリの「嫌だよ。悔しいじゃん」という言葉です。実はこれより前の部分、トモノリに「マスクはずし」をやめるように訴えるユウの心の内を表した部分でも、全く同じ言葉が使われているのです。
ユウとトモノリが同じく使った「嫌で、悔しい」という言葉ですが、それぞれにその対象とする内容には違いがあります。トモノリは、「先生から叱られる前にマスクをはずすことをやめる」のが、嫌で、悔しく、一方のユウは、「マスクをとったことで誰かが先生に叱られる」のが嫌で、悔しい。まさにユウの言う通り、2人が嫌がる内容は正反対に思えます。
それが「同じものをオモテとウラから見ている」とするユウの言葉を踏まえて、ユウとトモノリが見ている「同じもの」の内容を読み取って行きましょう。
トモノリが「自滅」や「ギブアップ」という言葉を使っていることから、トモノリの中ではマスクをはずすことが、先生、学校への「反抗」であると読み取れます。戦いと言ってもよいでしょう。その戦いを自分からやめるのが、嫌で悔しいとトモノリは訴えています。
それに対してユウが嫌がっているのは、クラスの誰かが先生に叱られるといった事態そのものが起こることに対してなのですが、そこには「マスク」に対するユウの考え方が深く関わっています。以下の部分に、ユウがマスクを着用させられることに対して抱いている違和感が表されています。
前者はサッカーW杯の決勝戦のニュースについて触れたもので、世界的にはマスクをはずす人がほとんどになっているのに、自分たちにはその自由は与えられず、詳しい理由も明かされないままにマスク着用を強要されることへの不満が、そして後者には、もはや諦めの境地にまで至っているユウの想いが吐露されています。
ここから、ユウとトモノリの考えに共通しているのは、学校が自分たちに強いる事態に正当性が感じられないことであると考えられます。正当な理由が感じられず、理不尽さを強く感じてしまうからこそ、その理不尽さに対してトモノリは真向から反抗する姿勢を見せ、ユウは先生の叱責によって、理不尽な状況が教室内でまかり通ってしまうことに悔しさを覚えていると読み取れるのです。
ここでもうひとつ注目しておきたいのが、問題該当部の最後にある「確かめるつもりはないけど」というユウの言葉です。この言葉もこれより前の以下の部分に出てきています。
この部分の前で、ユウはトモノリに、アツシが祖母のことを想って「マスクはずし」に参加しないことを明かします。それを聞いたトモノリは、アツシに対して「ふーん、大変じゃん、あいつ」(P.245の15行目からP.246の1行目)、「じゃあ、しょうがないか」(P.246のの1行目)として、マスクはずしに今後参加しないと告げたユウに対しても、「わかったよ。もういいよ」(P.246の3行目)と、それ以上無理強いしない態度を見せています。そんなトモノリだからこそ、友情に対しての考え方が自分と同じと感じ、そのことをわざわざ確かめるまでもない、とユウが考えていることが表されています。ユウとトモノリの間に深い友人関係が築かれていることが読み取れる部分です。
問題該当部でユウが「オモテとウラから同じものを見ている」と感じられたのも、トモノリが自分と根本的に異なる考え方をする人物ではないと感じているからこそであり、自分とトモノリの間柄からすれば、そのことをわざわざ確かめる必要もないとユウが考えていると読み取ることができます。
解答を作るにあたって、「理不尽」という言葉を使いたいところですが、中学受験生の皆さんには難しい言葉とも思えますので、解答例では別の表現を使うこととします。
正当な理由が明かされないままに自分たちだけがマスクを着用することを強要される事態に納得できないということ。(53字)
粗暴に見えて繊細さを持ち合わせたこの短編のトモノリの姿には、重松清氏ならではの魅力的な人物設定の美しさが強く感じられます。今回ご紹介した部分の後、トモノリがアツシに対峙する場面(P.263の7行目からP.264の7行目)でトモノリが見せる言動には、涙腺が強く刺激され、涙を禁じ得ません。ぜひトモノリの男気を堪能してください。
P.255の6行目から7行目に「追いかけようか、と一瞬思った。でもすぐに、違うよな、とペダルから離した足を地面についた。」とありますが、この時のユウの様子を説明したものとして、最も適切なものを次の中から選び、記号で答えなさい。
ア.サエコの普段とは違う様子が気になるが、追いかけてもまた強い口調で追い詰められてしまうので、放っておこうと思っている。
イ.サエコのつらさが強く伝わり、それを自分には見せたくないサエコの気持ちが理解できるため、あえて追わないようにしている。
ウ.自分の言葉がサエコを追い詰めてしまったので、謝りたいが、かえってサエコを刺激してしまうので、動かないようにしている。
エ.ここでサエコを追ってしまうと、自分が好意を寄せていることが知られてしまい、恥ずかしいので、何も行動を起こせずにいる。
同じクラスのサエコが、クラスメイトの誕生会に招待された際に一人マスクをしていたため、誕生会を行ったことを学校に密告した犯人扱いされてしまったという経緯をユウがサエコから聞かされる場面です。
まずはサエコという人物の個性と、それをユウがどのように受け止めているかを整理して行きます。
犯人扱いされていても誰を責めようともしないサエコが、幼なじみでありながら、精神的に自分よりもずっと大人であるとユウが感じていることが、以下の部分に表されています。
中学受験を控え、自分が感染してしまうこと、そして自分が誰かを感染させてしまうことを避けるために、一人であろうとマスクをはずさず、そのことであらぬ疑いをかけられても誰をも責めようとしないサエコですが、その実直さ故に、自分を責めてしまいます。
さらには、バースデイケーキが置かれたテーブルに参加者が集まった際の状況についても、責任感の強いサエコは以下のような後悔の念を抱きます。
誕生会に集まったメンバーの中にあって、一人マスクをはずさずにいるサエコの姿には、「マスクをはずして構わない」という周りの空気に流されないという意志の強さが感じられ、「マスクはずし」という行動に出るトモノリとは表面的には異なりますが、マスクをはずしても構わないという同調圧力に屈しないと「反抗する」点では共通していると言えます。
それでも自らを責めてしまうサエコは、以下のように想いを打ち明けます。
気丈に振る舞うサエコが垣間見せた想いにユウは以下のように反応します。
物語文読解で多く見られる、空気を軽くするために、あえておどけるという行動パターンが表されています。相手の気持ちを少しでも軽くしてあげたい、つらさから解放させてあげたいという気持ちから発生する行動パターンですが、ここでも弱さを見せるサエコを救い出してあげたいというユウの気持ちがにじみ出ています。
その後、誕生会を開いたことを密告した真の犯人についてユウが問い詰めても、サエコは明言を避け、以下のように反応します。
さすが重松清氏の作品、物語文読解の鉄則である人物の行動・表情パターンが立て続けに出てきます。「さばさばと言って」、「あきらめたように笑う」というサエコの行動、表情は、自分の抱えた悩みが深く重いからこそ、あえてさばさばと受け止め、あきらめるようにふるまって自分の気持ちをごまかそうとする感情に起因するもので、さばさばしているからといってサエコが気持ちを切り替えられたと取り違えないように注意しましょう。悲しいからこそあえて笑ってしまうといった行動にも共通するもので、人物の表面的な表情や行動と、本当の気持ちが必ずしも一致しないパターンは、特に難関校で多く出題対象になりますので、十分に気をつけてください。
そして、問題該当部の直前にあたる、以下の部分へとつながります。
「ペダルを強く踏み込む」という行動に、サエコが強い決意を胸に抱いていることが表されています。その決意とはどのようなものか。ここまでのサエコの心情の流れ、そしてサエコという人物の性格を考えれば、自分が感じたつらさを今は受け入れるしかなく、それでも屈せずに自分を通すしかない、と自分で自分自身を強く支えようとしていると読み取ることができるでしょう。
そのサエコの様子を見て、追いかけることをせずにいたユウの様子を、選択肢から選んでゆきます。まず選択肢のアですが、サエコのユウに対する口調ははきはきとして強い印象ではありますが、この場面でサエコがユウを追い詰める要素は見られませんので、不適切です。選択肢のウですが、逆にユウがサエコを追い詰めたこともなく、真の犯人について問い詰める場面でも、サエコに気づかいながら話すユウの姿が表されていますので、こちらも不適切となります。そして、選択肢のエですが、ユウがサエコに好意を寄せていることは、必死にサエコを励まそうとする姿からも感じられますが、つらさを受け止めているサエコの姿を見て、自分の好意が知られることを恥ずかしく思うというのは、全く結びつきません。よって正解はイとなります。
問題としては簡単ですが、登場人物の性格を文章中の表現から読み取って、心情読み取りの材料とすること、そしてご紹介したような物語文読解の頻出パターンに十分に気をつけることを心がけてください。
イ
今回ご紹介した箇所の中で、ユウ、トモノリの学校、先生に対する「反抗」、そしてサエコのマスクをはずして構わないという同調圧力への「反抗」が描かれているとしましたが、この後に物語が進み、時間が経過する中で、やがてユウたちが通う学校でもマスクを着用しなくてもよい状況へと変化が見られるようになります。実は、この短編のタイトルである『反抗期』が示す真の意味での「反抗」が始まるのは、ここからなのです。マスクの着用が強要されなくなってから、ユウとサエコが見せる姿には、何かに流されることなく、大きな流れに反抗して行こうとする強い決意が感じられます。様々な出来事を経て、友人たちの苦しむ姿を見てきたことで、自分の意志で行動することの重要性を知り得た彼らの姿には、「コロナ禍」を通しての心の成長がはっきりと見られます。
以下の部分に、コロナ禍に関して急速に変化して行く状勢に対し、その流れに疑問を抱くユウの想いが表されています。
様々な想いを抱えてきたからこそ生まれた「?」マークで示される疑問。答えを出すことだけが正しいのではなく、自分の経験に基づいて疑問を抱くこともまた、心の成長の証であるというメッセージが強く伝わってきます。
厳しいコロナ禍にあって、他者の置かれた厳しい境遇を知り、そこから新たな友人関係を築き成長して行くユウたち6年生の姿は、同じく厳しいコロナ禍を過ごした受験生の皆さんの心にも強いメッセージを届けてくれるでしょう。
本作品に同じく収録された短編『星野先生の宿題』では、「宇宙人への自己紹介」という課題について頭を悩ませる中学生の姿が描かれています。彼らが行き着いた答えには視野を広げることの重要さが込められており、多くの気づきを与えてくれます。この課題を受験生に対してそのままぶつけてくるような出題をする学校があるかもしれません。
文庫本ですので、ちょっとした時間で読むことができる上に、「コロナ禍」について考える機会を与えてくれる本作品は、6年生はもちろん、5年生、4年生の皆さんにもぜひ読んで頂きたい貴重な教材です。
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