No.1505 心の深い闇から「生きる希望」を見つけ出す女子中学生の姿を通して、重要テーマ「自己理解」を描き切った一冊!『わたしは食べるのが下手』天川栄人 予想問題付き!

amazon『わたしは食べるのが下手』天川栄人(小峰書店)

 2023年度入試にて、学習院中等科(第2回)などで出題された『おにのまつり』、2024年度入試にて、共立女子第二中(第2回AM)などで出題された『セントエルモの光 久閑野高校天文部の、春と夏』の著者・天川栄人氏による、食べることに深い悩みを抱く2人の女子中学生が心の成長を遂げて行く姿が描かれた作品です。

 会食恐怖症である葵と、摂食障害で過食嘔吐をしてしまう咲子という2人それぞれが抱える苦悩、自分を変えたくても変えられないでいるいら立ちといった、心の痛みが丁寧に、リアリティをもって描かれている点は、『おにのまつり』、『セントエルモの光 久閑野高校天文部の、春と夏』とも共通するところです。

 そんな2人が様々な人々との出会いを通して自分に向き合い、もがき苦しみながら再生して行く過程を描き切った本作品は、近年の中学受験物語文の最頻出パターンである「他者理解を通した自己理解」を具現化し、また読み手の心を打ち震わせてくれる心情描写に満ちています。

 2人の心の成長を軸としながら、「親子関係」という重要テーマが含まれ、また「異文化理解」学校給食のあり方について、考察する機会も与えてくれる一冊です。

 中学受験物語文の重要テーマを扱い、苦しみながら成長する人物の心情描写が満載の本作品は、来年度入試において男子校・女子校問わず、中堅校から難関校まで幅広く多くの学校での出題が予想されます。

※本作品には登場人物が嘔吐する場面があります(P.124とP.140)。
人物の置かれた状況を的確に把握するうえで重要な場面ですが、特にP.140はリアルに描写されていますので、お子様がつらい想いをされる可能性がある場合には、念のため親御様が先にお読みになられるとよいでしょう。

【あらすじ】

≪主な登場人物≫

小林葵(こばやしあおい:中学1年生の女子。人に見られていると食事がしづらくなる会食恐怖症であることを、料理教室の講師である母親に打ち明けることもできず、学校の給食の時間に強いストレスを感じている。給食を保健室で食べることがきっかけとなり、遠藤咲子と出会う。)

遠藤咲子(えんどうさきこ:葵のクラスメイトだが、保健室登校をしていて、教室に通うことはほとんどない。常に周りを気にしながら行動する葵とは対照的に、強気で毒づくような発言をするが、小学生の時の出来事が原因で摂食障害となり、過食嘔吐をくり返している。自身の過去の経験と、美しくあることに過剰に固執して整形まで行う母親の影響もあり、外見の美しさに強いこだわりを持っている。)

ラマワティ(葵のクラスメイトでインドネシア人の女子。イスラム教徒であるため、学校給食で食べられない食材が出された際には弁当を持参している。葵と咲子が進める学校給食改革に賛同する。)

久野浩平(くのこうへい:葵のクラスメイト。教室では常に明るく、お調子者で、人気者の男子。給食が大好きで、小学生の頃に余ったコッペパンをこっそり持ち帰ろうとしたことから、「コッペ」と呼ばれている。)

橘川先生(きっかわせんせい:葵たちが通う学校の栄養教諭。学校給食のあり方に反対する葵たちに対し、栄養学の見地から給食の重要性を伝え、闇雲に給食制度に反対する姿勢を厳しく指摘する一方で、葵たちの活動に様々なアドバイスを与えてくれる。)

≪あらすじ≫

 中学1年生の葵は、給食の時間に、教室の中で食事をすることが苦手で食が進みません。ある時、無理に給食を食べようとして気分が悪くなり、保健室に運ばれたところで同じクラスの咲子と出会います。葵が会食恐怖症であることを指摘した咲子は、給食が食べたくない気持ちが理解できると言い、葵と共に無理に給食を食べさせようとする学校の姿勢に強く反発します。

 そこで新任の栄養教諭である橘川先生から、本気で給食制度を変えたいのならば、正しいプロセスを経て給食改革を進めるように指摘された葵は、咲子と共に給食改革を始めます。、ある時、過食嘔吐をする咲子の姿を見てショックを受けた葵は、食べられない自分とは違い、食べられるのにそれを吐くという咲子の行為を強く責めてしまいます。その後、葵はラマワティから咲子が摂食障害であることを知らされるのでした。

【中学受験的テーマ】

※テーマについては、メルマガ「中学受験の国語物語文が劇的にわかる7つのテーマ別読解のコツ」で詳しく説明していますので、ぜひご覧になりながら読み進めてください。

 この作品全体は「自己理解」をテーマとしています。共に食べることについて深い悩みを抱える葵と咲子が、友人や学校の先生、そしてクラスメイトの家族といった様々な人々との出会いを通じて、自己理解を深め、心の成長を果たして行く姿が描かれており、そこには「他者理解を通して自己理解を深める」といった近年の中学受験で頻出のパターンを見ることができます。

 「自己理解」の中でも、会食恐怖症に悩む葵の姿には「苦境に向き合う」といったテーマが、そして小学生時代の出来事が原因で摂食障害となった咲子の姿には「挫折からの再生」というテーマが反映されています。

 特に今回は咲子が再生へ向けて一歩を踏み出す場面を題材として予想問題を作成しました。外見的な美しさに固執する咲子が何をきっかけにして考え方を変え、摂食障害である自分を変えて行きたいと思えるようになったのかについて、咲子の言葉が少しずつ変わって行く過程を見逃さないように注意しながら、予想問題を解き進めて行きましょう。

 また作品全体を通すと、葵、咲子それぞれの母親との関係の変化も重要なテーマとなっています。自分の本心を打ち明けられずにいる葵、冷めきった家族関係の中で一人でいることを選ばざるを得なかった咲子が、どのように母親との関係を変えて行くのかに注視しながら読み進めてください。

 さらに葵たちが取り組む学校給食改革が進む様子を追うことは、学校給食のあり方への問題意識を高めるきっかけとなり、またラマワティというインドネシア人のクラスメイトの言葉を通して、イスラム教のハラールについての知識を得ながら、異文化理解を深めることができます。

【出題が予想される箇所】
P.146の10行目からP.175の14行目

 咲子が葵に、自分が摂食障害となった原因を話す場面から始まり、葵と咲子の関係の変化がつづられた後に、咲子がある出来事をきっかけに、自分を変えたいと思えるようになるまでの過程が描かれています。咲子の言葉を追いながら、その心情の変化を的確に読み取ることがポイントとなります。

 また、同じ言葉を使うことによって人物の心情や考え方の変化を示す表現が使われていますので、見逃さないように注意してください。

≪予想問題1≫
P.166の3行目から4行目に「葵はきっぱりとそう言って、あたしの手を引いた。明らかにパニクってる私を、責めたりせずに」とありますが、これより前の部分で、葵が咲子に示した反応とは対照的な反応を咲子が受けたことを示す一文を選び、最初と最後の五文字を書きなさい。句読点も一字として数えます。
≪解答のポイント≫

 葵と咲子の関係の変化が顕著になってくる部分からの出題です。ネガティブな思考に陥る咲子にとって、葵がどのよう存在になって行くのか、その変化を的確につかむことが解答のポイントになります。

 出題が予想される場所とした箇所の冒頭、咲子が摂食障害であることを知らずに過食嘔吐をする咲子を責めてしまった葵は、咲子に謝罪をします。それに対する咲子の反応が以下のように表されています。

いいよ別に、気にしてないよ、なんて言ってやんない。
あたしは葵みたいに「いい子ちゃん」じゃないから。(P.146の14行目から15行目)

 さらにその後、咲子にかける言葉をどのように続ければよいのかわからず戸惑う葵の様子を見た咲子の想いが以下のように表されます。

ほんとこの子、素直だ。全部顔に出ちゃう。(P.147の3行目)

 「いい子ちゃん」という言葉だけをとらえると、咲子が葵に対して否定的な印象を持っていると感じられますが、葵の素直さに驚きに近い感情を持つ咲子の様子からは、葵を否定するというよりも、素直になれない自分との違いを強く感じていると読み取ることができます。

 そんな葵に対して、咲子は葵に自分が過食嘔吐をしてしまうようになった過去のいきさつを明かします。咲子がこれまで誰にも話すことのなかった自分の過去について、なぜ葵に話す気持ちになったのかがわからないでいる様子が、以下のように表されています。

ああ、あたし、なんでこんなこと、この子に話してるんだろ。
今まで誰にも打ち明けられなかったのに。(P.155の1行目から2行目)

 「打ち明けなかった」のではなく、「打ち明けられなかった」とされているところに着目しましょう。咲子は自分のつらい過去を頑なに隠してきたのではなく、その過去を話せる相手、自分のつらい過去を共有できる相手にこれまで出会ってこなかったことがわかります。

 自分が過食嘔吐であることを知っても、素直な気持ちで自分に接してくれる葵だからこそ、話したいと強く意識しないまでも、打ち明けて構わないという心境に至ったと考えることができるのです。

 このような、自分の本心に気づかないうちに、相手との心の距離が縮まって行く描写は「友人関係」をテーマとした作品では多く描かれます。人物の言葉や行動から、相手への印象がどのように変化しているのかを読み取る意識を強く持ちましょう。

 葵に過去を打ち明けてからも、咲子の心は晴れることなく暗い方向へ沈み込んで行きます。咲子自身がそんな自分の様子を以下のように感じています。

ああ、まずい。心のバランスが崩れて、ネガティブ方向に傾くのを感じる。
坂道を転がり落ちるみたいに、ダメな方に流れていく。(P.155の11行目から12行目)

 そして咲子は以下のように、自分をさげすむ言葉を発します。

「ほんとダメ人間だよね」
気分がズーンと塞いできて、言葉が尖る。
自分を傷つけるだけだって、知ってるのに。
「あたしなんかどうせ、ブスだしデブだし」(P.156の4行目から7行目)

 気持ちがひたすらネガティブな方向に流れていく咲子に対し、葵は以下のような行動をとります。

葵は立ち上がり、空を仰いで言った。
「ねえ、私、本気でやろうと思う。給食改革」
そして振り返り、あたしを見る。
「咲子ちゃんはどうする?」(P.156の15行目からP.157の2行目)

 それに対する咲子の反応が以下です。

あたしは、どうすればいいんだろう?(P.157の4行目)

 咲子の過去を聞いてもそれにひるむこともなく、むしろネガティブな気持ちに陥る咲子に対し、慰めの言葉をかけずに、これまで進めてきた給食改革を継続することを告げた葵の姿には、咲子の過去をそのまま受け入れ、共に戦う同志として認める強さが感じられます。

 そんな葵の呼びかけにすぐには応じられないながらも、咲子が自分の過去を打ち明けてもなお葵と共に行動することを拒絶しないところに、咲子の中で、葵の存在が自分を闇の中から救い出してくれるという想いが芽生えて始めていると考えることができます。

 その後、給食改革を進めるために、クラスメイトのラマワティと料理づくりをすることを決めた葵に誘われ、咲子は食材の買い出しにスーパーへ行きます。

 スーパーに陳列された食品を見ているうちに、咲子の状態に異変が生じます。

これも食べ物。あれも食べ物。このお店の中丸ごと、食べ物でいっぱいなんだと思うと、だんだん変な気分になってくる。(P.164の6行目から7行目)

 そして咲子が普段から過食嘔吐の対象としているパンのコーナーを前にして、咲子の苦しみは一層増して行きます。

目がチカチカし始めた。視界が急激に縮まって、半額シールしか見えなくなる。めまい。動悸。周りの音も聞こえなくなる。ただ心の声がぐわんぐわん反響している。
食べたい。食べたくない。食べたい。嫌だ。食べたくない。でも食べたい……!(P.165の7行目から9行目)

 そして無意識にパンに手を伸ばした咲子の手を掴んだのは葵でした。その後が、問題該当部を含む、以下の部分となります。

「咲子ちゃん。あっちに行こう」
葵はきっぱりとそう言って、あたしの手を引いた。
明らかにパニクってる私を、責めたりせずに。(P.166の2行目から4行目)

 咲子にかける言葉を見つけられずに戸惑っていた時の葵とは別人のように、咲子を闇の中から引き出そうとする葵の凛とした姿が描かれています。

 この葵の行動には、相手(咲子)の過去を知り、その心の傷の深さを知ったうえで、なお支えようとするといった、「他者理解を通して心を成長させる」という、物語文の典型パターンが鮮明に表されています。

 そして咲子の心情にも以下のような変化が生まれます。

ああ、あたし、葵のこと弱虫だと思ってたのに。
子どもっぽくて世間知らずのダメな子だって思ってたのに。
いつの間にか、あたしの方が引っ張られていた。(P.166の5行目から7行目)

 咲子の心の痛みは、これで完全に解消されるほどに浅いものではありません。それでも、これまで一人で自分の苦しみに対峙してきた咲子にとって、その弱さを明かすことのできる葵という存在に出会えたことが、心の救いになっていると読み取れます。

 そこで問題について考えてみます。気をつけるべきは「対照的」という言葉です。

 問題該当部にある「責めたりせずに」という表現に注目します。過食嘔吐に向おうとする咲子を責めずに、その場から連れ去る葵の姿には、咲子を受け入れ、そして守ろうとする意志が表されています。

 「責めたりせずに」の対照的な行動とは、短絡的に考えれば「責める」ことですが、責めるという行為には、まだ相手への関心が残されていますので、葵が示した、相手を受け入れ、支えようとする行為と完全に対照的であるとは言えません。真の対照的な反応とは、咲子を受け入れず、突き放す行為と言えるでしょう。

 そうした反応が表されている可能性が高いのは、咲子が過去を振り返った場面と推測されます。そこで、咲子の小学生時代が描かれた部分に着目すると、以下の一文に行き着きます。

小学校時代の友達も、離れていっちゃった。(P.155の15行目)

 咲子から離れるという反応と、パニックに陥る咲子の手に直接触れ、強い力で連れ出すという反応であれば、まさに対照的であると考えられます。

 書き抜き問題は難問になるケースが非常に多くあります。それでも問題の指示を確実に読み取り、それに従って考えることで、解答が含まれる箇所を推測することができます。書き抜き問題に対応するためには、闇雲に探すのではなく、指針となるような手がかりをまず把握する意識を高めましょう。

≪予想問題1の解答≫

小学校時代~ちゃった。

≪予想問題2≫
P.154の12行目の「生きてるって感じがする。」(Aとします)と、P.174の12行目の「生きてるって感じがする。」(Bとします)では、全く同じ文が使われています。AとBの意味するところにはどのような違いがあるでしょうか。120字以内で説明しなさい。句読点も一字として数えます。
≪解答のポイント≫

 どちらの言葉も咲子によって発せられたものであり、AとBの意味するところの違いは、咲子の心情、考え方の違いと考えられます。

 まずAですが、この一文を含む前後まで視野を広げてみましょう。

食べるのは気持ち悪いけど気持ちいい。
吐くのも、気持ち悪いけど、気持ちいい。
生きてるって感じがする。
カショオ(※過食嘔吐のことです)してる間だけは、忘れられるから。感じたくない何かを。(P.154の10行目から13行目)

 吐くという行為を気持ちいいとしてしまう程に、咲子の心の傷が深いものであることが表されています。ポイントになるのは、問題該当部の直後にある「感じたくない何かを忘れられる」という部分です。ストレス発散のために食べて、そして吐くという行為をしている間、咲子は感じたくないものを忘れられるとしています。

 逆にその感じたくないものが頭から離れない間の咲子は、生きている実感が得られないでいる、と考えられます。それほどまでに咲子の抱えるストレスは重いもので、感じたくないものを忘れられる程に、意識を吐くという行為に集中させることが、咲子にとっては気持ちよく、生きている感覚を味わえるものであると読み取ることができます。

 まるで気分転換のためにスポーツに没頭している人物が抱くような感覚として表されています。意識を吐くという行為に向けてでも、心に深くのしかかる重みから解放されたい、という咲子の苦しみが、読み手の心に突き刺さるような、深い痛みをともなう描写でつづられています。

 それでは、それほどまでに咲子が感じたくない「何か」とは何なのでしょうか。それは過去に受けた心の傷であり、冷めきった家族関係でもあり、また状況を打開できない自分自身へのいら立ちでもあるでしょう。ここではあえて一つ限定できるものではありませんので、以下の部分を参考にして、「ストレス」という言葉に集約させる方がよいでしょう。

ストレス発散のためにむちゃ食いして。
後で怖くなって吐いて。
それがストレスになって、またむちゃ食いして……。(P.154の1行目から3行目)

 このように、Aでの「生きてる」という言葉は、吐くという行為に意識を集中させることによって、心の奥深くにのしかかるストレスから解放されることを表していると読み取れます。

 一方のBについて考察するために、≪予想問題1≫で取り上げた箇所から後の部分を読み進めて行きます。

 スーパーで買い物を済ませた葵、咲子、ラマワティの3人は、料理をするために咲子の家に向かう途中で、クラスメイトの久野浩平(コッぺ)と偶然出会います。コッペの弟の修平が駄々をこね、それをあやす流れで葵たちはコッペの自宅を訪れることになります。

 そこで葵たちを迎えてくれたのはコッペの母親でした。コッペの母親に対する咲子の第一印象が以下のように表されています。

すっぴんの顔は、しわとシミだらけ。髪はぼさぼさ。
コッペも修平くんもがりがりなのに、おばさんはふっくらしている。ふっくらっていうか、でっぷり。オーバーサイズのワンピースを着てるから、ますます太って見える。
恥ずかしくないのかな。(P.171の2行目から5行目)

 小学校時代にダイエットに取り組むほどに、外見の美しさに固執してきた咲子にとって、外見などまるで気にしないように見えるコッペの母親の姿は、恥ずかしいものとしか考えられなかったのです。

 それでもその直後に、咲子は自責の念にとらわれます。

条件反射で、そんなこと考える。ああ、もうこんなの嫌なのに。(P.171の6行目)

 自分を変えたいと強く思っているのに、外見の美しさへの固執にとらわれてしまう習慣から抜け出せない。咲子の苦しみがこの部分にもにじみ出ています。

 そんな咲子に、コッペの母親は意外な行動に出ます。咲子の手をとり、自分のお腹を触らせたのです。

 急なことに戸惑う咲子でしたが、コッペの母親のお腹から伝わってくる感覚に、以下のような想いを抱きます。

手のひらに、じんわりした熱と、ときおりうごめくものを感じる。
「!」
ぞわって鳥肌が立ったのは、嫌だったからじゃない。そうじゃなくて、……何かシンセイなものに触れた気がしたから。
指先から流れこんでくる、なんかよくわからないけど、神々しいもの。(P.172の7行目から11行目)

 自分の手を通して、コッペの母親のお腹から伝わってくるものが何か、突然のことで咲子は判断がつかないでいましたが、それが神々しいものと感じ取り、その後、以下のような実感を得ます。

命。命だ。
そう思ったとたん、あたしの心臓が、どくどく鳴り始めた。(P.172の12行目から13行目)

 コッペの母親のお腹の中に赤ちゃんがいること、新しい命がそこに存在していることを認識した咲子は、その命をお腹の中に宿すコッペの母親を見て、以下のような想いを抱きます。

目じりに何本もしわが寄って、お世辞にも若くは見えない。
だけど。
綺麗だ。(P.173の3行目から5行目)

 それまで外見の美しさばかりを意識していた咲子の中に、外見的には決して美しいとは言えないコッペの母親の姿が「綺麗」であるという想いが芽生えた瞬間です。

 そして咲子は自分でも意識しないままに、涙を流し始めます。その理由がわからないでいる咲子の頭を、コッペの母親が優しく撫でた時、咲子の心の中で大きな変化が生まれます。

その指先から、柔らかくて温かくて優しいものが、あたしの中にきらきら雪崩れてきて、空っぽのお腹を満たす。
それに気づいたとき、何か強い力で引っ張られるように、あたしは暗いトンネルを抜けていた。
世界が突然、輝き出す、ような。(P.173の13行目からP.174の1行目)

 最初の一文に、咲子のこれまでの苦悩と、そこから救われる兆しが訪れたことが集約されています。「きらきら」と、柔らかくて温かくて優しいだけでなく、美しさを含んだものが、「雪崩」のように強い勢いで一気に押し寄せてきた、という描写から、咲子が長くそうしたものとの出会いを渇望していたことが強く伝わってきます。

 そして、「空っぽのお腹を満たす」という部分に、咲子の体の中に、これまでのような「体に悪いもの」ではなく、幸福感を与えてくれるものが満たされて行く様子が表されています。

 「暗いトンネル」を抜けた咲子はコッペの母親に対して、以下のように言葉を投げかけます。

あたしはしゃくりあげながら、これだけ言った。言わなきゃいけないと思った。
「おばさん、綺麗」(P.174の8行目から9行目)

 外見的な美しさではなく、内面から出る人間の美しさに咲子が気づいたことが、この後に続く、問題該当部Bを含む部分からも読み取ることができます。

太ってるし、しわもシミもあるし、うちのママに比べれば全然美しくないけど。
でも綺麗だ。
生きてるって感じがする。(P.174の10行目から12行目)

 こうして見てくることで、Bの「生きてるって感じがする」は咲子がコッペの母親に対して「綺麗」という印象を強く持ったことを受けたもので、その美しさが命という神々しく尊いものを体の中に宿しているからこそ現れることに、咲子が気づいた様子を表していると考えられます。

 コッペの母親のお腹から伝わってくる命の美しさを知ることによって、咲子の中に生まれ変わろうとする意志が生まれたことが、以下の部分に表されています。

あたしはそのまま、しばらくバカみたいにぼろぼろ泣いて、たぶん顔も超ブスだったと思うけど、でもあたしはそのとき、魂が底の方から浄化されてくような、まるで別人に生まれ変わるような、不思議な感覚を味わっていた。
あたしは、綺麗だ。
生きてるだけで、美しい。(P.175の10行目から14行目)

 深い苦しみの淵にいた人物が再生して行く様子を、これほどまでに丁寧に、かつ美しく描写した場面に出会えるのは稀有なことです。児童文学史上に残る屈指の名場面です。

 ストレス発散のために、過食嘔吐をくり返すという重く苦しい時間を重ねてきた咲子が、最後には、生きていることを美しいと思えるようになったのも、葵という自分を受け入れてくれる存在に出会い、そして尊い命が鼓動する感覚を自分の手を通して感じ得ることができたからであると言えます。

 解答を作る際には、Aの部分とBの部分での咲子の状態の違いがわかりやすく伝わるように、必要であれば、文中には使われていませんが、状況を分かりやすく表現する言葉を使ってもよいでしょう。解答例では、Bの部分について、咲子の「あたし、治りたい」(P.175の7行目)という言葉を受けて「希望」という言葉を使っています。

≪予想問題2の解答例≫

Aが、吐くという行為に意識が集中することによって、ストレスから解放されている咲子の苦しい様子を表しているのに対して、Bは、コッペの母親のお腹から新しい命の存在を感じたことで、生きることに希望を抱き始めている咲子の様子を表している。(115字)

【最後に】

 会食恐怖症や摂食障害といった心の苦しみを題材として、過食嘔吐や、咲子の心の叫びなど、読んでいてつらさを感じる場面が多く含まれることはありますが、そうした場面での葵や咲子の切実な想いをしっかり受け止めることが、そこから再生しようとする2人の変化をより強い意識で読み取ることにつながります。

 そして2人がもがき苦しみながら前へと進む姿を見届けることが、「自己理解・他者理解を通して心の成長を果たす」という黄金パターンを読み解く力を一気に高めてくれます。

 こうしてご紹介すると、作品自体が重く暗いトーンで書かれている印象を受けてしまわれるかもしれませんが、葵と咲子、そしてラマワティの会話には深刻さとは無縁の明るいトーンが見られることもあり、何より、「新しい給食の献立を考えているとき、生きてて一番興奮する」と平然と言い放ち、咲子に変人扱いされる栄養教諭の橘川先生が登場する場面では、読んでいて笑いをこらえられなくなることが何度となくあります。

 そして今回ご紹介した箇所から後、物語は葵や咲子たちが給食改革を推し進めるクライマックスへと向かうのですが、そこでコッペや橘川先生が抜群の存在感を発揮します。良い物語には優れたバイプレーヤー(脇役)がいるという鉄則の通り、そこからはページをめくる手が止まらなくなり、ラストには多幸感を深く味わうことができます。

 食べることへの深い悩みという重大な事態を題材として、ユーモアを交えながら、中学受験物語文の重要テーマを描き切るこの傑作を、ぜひ多くの受験生の皆さんに読んで頂きたいです。

 われわれ中学受験鉄人会のプロ家庭教師は、常に100%合格を胸に日々研鑽しております。ぜひ、大切なお子さんの合格の為にプロ家庭教師をご指名ください。

メールマガジン登録は無料です!

頑張っている中学受験生のみなさんが、志望中学に合格することだけを考えて、一通一通、魂を込めて書いています。ぜひご登録ください!メールアドレスの入力のみで無料でご登録頂けます!

ぜひクラスアップを実現してください。応援しています!

ページのトップへ