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親子関係、友人関係に悩む主人公が、ボクシングを通じて出会った友人との心の交流を経て、自分の進むべき道をつかみ取って行く姿を描いた成長物語の傑作です。著者の蒼沼洋人氏の作品ではデビュー作の『さくらいろの季節』(第4回ポプラズッコケ文学新人賞大賞受賞)が城北中(2016年度第1回)、学習院中等科(2016年度第2回)、大妻中(2016年度第2回)などで出題されています。
家庭では母親に自分の言いたいことを伝えられず、学校ではクラスの中心となるグループに属しながらも居心地の悪さを感じていた主人公・心愛が、ボクシングに打ち込む同い年の女子中学生・こはくと出会うことで、自分の生き方、他者との接し方を見つめ直し、心の成長を果たして行くという過程には、「他者理解を通して自己理解を深める」という近年の中学受験物語文の最頻出パターンが描き込まれています。
登場人物それぞれの個性が鮮明に描かれていることで、主人公・心愛をはじめとした人物たちの心情の揺れ動きが受け止めやすく、テンポよく展開するストーリーに引き込まれながら、「友人関係」「親子関係」といった重要テーマのポイントを学び取ることができます。
また、「同調圧力」という近年様々な文章で取り上げられることが多くあるテーマについても、読み手に考察する機会を与えてくれます。
読みやすい文体を通して、主人公が心を成長させて行く過程が描き込まれている点で、来年度入試で多くの学校が出題対象とする可能性が高く、男子校・女子校に関わらず中堅校から上位難関校まで幅広い学校での出題が予想されます。
≪主な登場人物≫
立川心愛(たちかわここあ:中学2年生(物語の初めは1年生)の女子。5歳の時に両親が離婚してからは母親と二人で暮らしている。家では母親の指示に逆らうことができず、学校ではクラスメイトの杏の発言に違和感を抱きながらも、杏と同じグループから抜け出せないでいる。ボクシングジムで練習をするこはくの姿を見ることが窮屈な生活の中での楽しみとなっていた。)
桐野こはく(きりのこはく:心愛と同い年の中学生女子。元ボクシング日本チャンピオンの父親と世界チャンピオンの母親のもとで3歳からボクシングを始め、同年代では男子でもまともに打ち合えないほどの実力を持つ。中学1年の夏休み前から、学校には通わず、ボクシングに打ち込んでいる。)
杏(あん※名字は不明です。:心愛のクラスメイト。中学入学時に共に学校で居場所がなかったことで心愛と仲良くなるが、次第に交友関係を広げ、クラスの中心人物となる。噂話を好み、他者を見下す発言をする傾向があると心愛は見ている。)
野村(のむら※名前は不明です。:心愛の母親の交際相手。歯科医を開業している。)
≪あらすじ≫
母親と2人で暮らしている心愛は、仕事に恋愛にと忙しい母親に代わり家事を行っていますが、思うがままに振る舞い、自分の都合を考えようともしてくれない母親への不満を解消できないままでいます。学校でも中学入学当時から一緒に過ごすことが多かった杏の、他者を見下すような発言に違和感を抱きながらも、教室内で一人で生きるだけの勇気を持てず、鬱々とした日々を過ごしていました。
そんな心愛にとっての楽しみは、買い物帰りにボクシングジムでサンドバッグを打つこはくの姿を見ることでした。ある時、こはくに声をかけられ、話の流れで母親に内緒でジムの体験レッスンに申し込んでしまった心愛は、それからこはくにボクシングを習う時間を持つようになります。
ボクシングを通じてこはくと過ごして行くうちにこれまでに味わうことのなかった爽快感、充実感を得ていた心愛でしたが、ボクシングをしていることを杏に知られ、やがてそれが杏の口から母親に伝わってしまいます。激怒した母親はジムから強引に心愛を連れ去り、心愛はボクシングジムに行くことを固く禁じられてしまうのでした。
※テーマについては、メルマガ「中学受験の国語物語文が劇的にわかる7つのテーマ別読解のコツ」で詳しく説明していますので、ぜひご覧になりながら読み進めてください。
この作品の中学受験的テーマは「自己理解」です。その中でも「他者理解を通して自己理解を深める」という近年の中学受験物語文における最頻出パターンが具現化されています。
主人公の心愛が家庭においても、そして学校生活においても、自分の意志を表に出さないままに追い詰められて行く中で、自分とは対照的なタイプであるこはくと出会い、ボクシングを通じてこはくとの関係を深めながら、自分のあり方を見つめ直し、心の成長を果たして行くという過程には、まさに自己理解というテーマの王道パターンが描かれています。
さらには、クラスメイトの杏、そして母親という心愛の心を悩ませている人物それぞれとの関係の変化もまた、本作品を読み解くうえで重要なポイントとなっています。
心愛が心の成長を果たして行く過程を追いながら、心愛を中心とした様々な人間関係の変化を読み解くことは、「他者理解を通して自己理解を深める」というパターンを学習するうえでの貴重なステップとなります。
心愛の発する言葉、そして心の声を丁寧に受け止め、何がきっかけとなって、他者との関係が変化して行くのか、それによって心愛がどのように成長して行くのかをじっくりと読み解いて行きましょう。
母親からボクシングジムに通うことを禁止された心愛が学校、家庭で暗く沈み込んだ気持ちで過ごす様子の描写から始まり、そうした時間に耐えきれなくなった心愛が母親に黙ってこはくと会い、こはくのボクシングの試合を観に行くまでの過程が描かれた場面です。
学校でも家でも自分の居場所を見つけられないでいる心愛の心の痛みがどのようなものであるのか、そんな心愛にとって、こはくがどのような存在となっているのかを正確に読み取って行きましょう。
P.132の6行目に「無神経ないい方にいらっとした。」とありますが、心愛は杏のどのような態度を「無神経」と感じたのでしょうか。最も適切なものを次の中から選び、記号で答えなさい。
ア.心愛が母親にかわって家事をしなくてはならず、自由な時間がないことを知っていながら、遊びに行こうと誘うところ。
イ.心愛にとってボクシングがどれほど大事なものとなっているかも考えずに、ボクシングをやめたと簡単に言い切るところ。
ウ.心愛のクラスでの居場所をなくそうという目的で、ボクシングをやめさせるように仕組んでおきながら、明るく話しかけるところ。
エ.心愛が母親との関係を修復させることに集中して他のことが頭にないと想像しようともせずに、ボクシングの話題を持ち出すところ。
母親からボクシングジムに行くことを禁じられた心愛が、その原因となる行動をとった杏に対して強い憤りを感じている場面からの出題となります。心愛と杏の関係、そして心愛のボクシングにかける想いを整理することで解答の糸口をつかんで行きましょう。
心愛が無神経と感じた杏の言葉は以下のようなものでした。
この言葉だけを見ると、無邪気に友だちに話しかける女子中学生の言葉と受け止められ、特段の悪意は感じられませんが、受け止めた側の心愛からすると、憤りを感じてしまう要素が込められていることになります。
そこでまずは、心愛が杏をどのような人物としてとらえているかを探ってみましょう。問題該当部から先に読み進めると、ある日の教室の場面で、心愛の杏に対する考え方が表されている箇所に行き着きます。
同じクラスの辻という女子生徒の兄が工事現場の銅線を盗んだ容疑で捕まったというニュースが教室内で話題となるのですが、ここで杏の以下のような言動が心愛の心を曇らせます。
この部分から、杏がグループの中心にいて、他人の噂話(ゴシップ)を話題とすることに強い関心を抱き、その噂話を笑い話として扱うタイプとして心愛が見ていることがわかります。
さらに続いて以下のような心愛の想いが表されています。
この部分に、心愛の杏に対する考え方が顕著に示されています。悪意をもって発していないように思える杏の言葉に、他者を見下し、他者の苦しみを笑いのネタにしてしまう「毒」のような攻撃性を心愛が感じ取っていると読み取ることができます。
問題該当部の直前の杏が心愛に投げかけた言葉の中にも、杏の他者の心の痛みを軽々しく扱う気質を感じ取ったと考えることができるのです。
それでは、心愛は杏の言葉のどの部分に憤りを感じたのでしょうか。
杏の言葉を受けた後に心愛が自らの心の内を吐露する場面があり、そこで心愛の揺れ動く心境が以下のように表されています。
この部分には、母親の言いつけにしたがって、ボクシングからも、ボクシングを通じて知り合ったこはくと過ごす時間からも離れた方が楽であると考えようとしながらも、気持ちがボクシングから離れられないでいる心愛の状態が表されています。
そして、学校の屋上で一人シャドーボクシングで汗をかく心愛の様子が以下のように描かれています。
心愛にとってボクシングが生きているという強い実感を得られるものとなっていることがわかります。
このように見てくることで、心愛が杏の発言の中で「無神経」と感じたのは、「ボクシング、もうやめるんでしょ?」という言葉であり、自分にとって生きている実感を得られるほどに大切なものとなり、こはくと自分をつないでくれていたボクシングから離れなければならなくなった心の痛みを一切理解しようとしない杏の態度に心愛が憤っていると読み取ることができます。
よって、問題の正解となる選択肢はイであることは明白ですが、念のため他の選択肢についても見てみます。
選択肢のアの心愛が自由な時間を持てないでいるかどうかについては、この場面では話題として全く触れられていませんので、不適切になります。ウについて、杏の辻さんに対する言動には悪意ともとれる要素が確実に含まれているものの、杏が心愛に対して悪意を抱いているかどうかは明らかではありませんので、「心愛のクラスでの居場所をなくそうという目的」という部分が不適切となり、ウを選ぶこともできません。
エの母親との関係を修復させたいという気持ちが心愛の心の中にないとは言えませんが、そのことを考えていても、心愛の中でボクシングが二の次になるようなことはありませんので、エも不適切と判断できます。
今回の解答の過程で心愛の杏に対する考え方を確認するうえで、問題該当部から離れた部分での杏の言動に着目したように、人物の性格やタイプ、そして他者の目にどのように映っているかを知るためには、幅広く人物の言動を見渡す意識を高く持つようにしましょう。
イ
P.157の2行目から4行目に「こはくが輝けば輝くほど、真っ暗に沈んだわたしのなかに、たくさんの小さな光の粒が舞いあがることを知っていた。」とありますが、「真っ暗に沈んだわたし」という心愛の状態について説明した以下の文章の空欄( A )( B )( C )に言葉を入れて、文章を完成させます。A、Bに入る言葉は文中から、Aは25字以内で、Bは15字以内でそれぞれ抜き出し、Cに入る言葉は20字から25字で考えて文章を完成させなさい。句読点も一字として数えます。
学校では( A )に打ち勝てず、杏たちと過ごす時間から抜け出せないでいる。家の中では、なぜ自分だけが( B )のか、という不満を抱きながらも、母親の言うことに従わざるを得ないでいる。
どちらにも共通して、( C )でいる自分自身にいら立ちを感じている。
母親に黙ってこはくのボクシングの試合の手伝いをするために試合会場に訪れた心愛が、試合直前のこはくの姿を見て抱いた想いが出題対象となっています。ますは問題該当部までの心愛の状況について確認します。
≪予想問題1≫で取り上げた場面では、こはくに会ってボクシングをしたいと思いながらも、母親の言いつけを破ることへの不安が拭えないでいた心愛は、母親の交際相手の野村との食事会に母親の意向で強引に連れて来られます。その場の居心地の悪さにうんざりしたところで、会食用に普段より大人っぽい服装に身を包んだ自分の姿を鏡で見た心愛は、以下のように想いを吐露します。
居心地の悪い場所にいるからこそ、こはくと過ごす時間、ボクシングに打ち込む時間が自分の心のよりどころとなっていることを心愛が痛感している様子が表されています。
そして、ボクシングへの想いが抑えられなくなった心愛は以下のような心境に至ります。
そうしてこはくのボクシングの試合に同行することになった心愛ですが、試合前に控室で、こはくの対戦相手であるウクライナ人の女子選手ユリアの姿を見て、その張り詰めた雰囲気に圧倒されます。こはくが試合でユリアに勝てるかどうか、強い不安にかられた心愛の様子が以下のように表されます。
そんな心愛に明るく笑いかけるこはくを見た心愛の想いが表されたのが、問題該当部を含む以下の部分です。
最後の「今まで、ずっと助けてくれたんだ」という言葉に、心愛にとってこはくが心の支えとなってきたことが表されています。
こはくの姿を表す「輝けば輝くほど」という言葉と対照的に、自分の現状については「真っ暗に沈んだ」といった言葉を使うところに、心愛にとってこはくが大事な存在になっていること、そして心愛の心の痛みが深く暗いものであることが示されています。
問題では、その心愛の心の痛みについての説明が題材となっています。問題に合わせて、まずは空欄Aに入る言葉から考えて行きましょう。
この空欄Aに入る言葉は、心愛が学校生活で感じる居心地の悪さを表していると考えられます。そこで心愛の学校生活を描いた部分に着目すると、≪予想問題1≫でも取り上げた、杏との会話の場面と、杏が辻さんに対する悪意のある言葉を発する場面が挙げられます。
そこで空欄Aの直後にある「打ち勝てず、杏たちと過ごす時間から抜け出せないでいる」という部分に着目すると、杏たちのグループから抜け出したいと思っていながら、それを実現できないでいる心愛の葛藤を表す言葉が空欄Aに入る言葉として当てはまり、以下の部分に解答が含まれていると考えられます。
この部分の中で制限字数の25字以内であることと、前後のつながりから考えると、「強いグループの一員でいられることに安心する気持ち」を解答として選ぶことができます。
続いて、空欄Bですが、心愛にとっての「家」は母親との関係を表しますので、母親に対する不満を心愛が吐露している部分に着目すればよいことになります。さらに空欄Bについては、空欄の前後の言葉が大きなヒントとなるため、母親に野村との食事会に同席するように言われた後の心愛の不満が表された、以下の部分にスムーズに行き着くことができるでしょう。
この部分から制限字数の15字以内に合わせると、「いつもがまんしなきゃいけない」を解答として選ぶことができます。
ここまでは解答が見つけやすい問題ですが、ポイントは空欄Cに入る言葉です。学校でグループから抜け出せないでいることへの自己嫌悪、家で母親の言いなりになっていることへの不満、という2つの要素に共通する内容とは何かを考えるうえで、重要なヒントとなるのが、問題該当部の後にある以下の部分です。
心愛が自らを「弱気」としていること、その「弱気」が自分を「真っ暗に沈んだ」状態にしているからこそ、自分とは対照的な「自信たっぷり」なこはくに救われ、こはくの輝く姿を心の支えとしていると読み取ることができます。
学校と家での心愛の様子を、「弱気」という言葉を含めて考えてみると、学校でも家でも心愛が、自分の意志を強く持って他者と相対することのできない状態でいると考えることができます。
強い意志があれば、杏たちのグループから抜け出すことも、母親の言いなりにならずに行動することもできていたでしょう。
心愛がこはくに強く魅了されているのも、こはくが自分にない強い意志を持ってボクシングにひたすらに打ち込んでいるからと考えることもできるのです。
今回の空欄Cのように、複数の状態に共通する内容を考える際には、より広い視野で文章を見渡し、的確なヒントを見つけ出す意識を高めるようにしましょう。
A:強いグループの一員でいられることに安心する気持ち(24字)
B:いつもがまんしなきゃいけない(14字)
C:強い意志を持って他者と向き合うことができない(22字)
今回ご紹介した部分の直後、こはくはウクライナ人選手のユリアと激しい試合を繰り広げ、そしてその試合後に、心愛とこはくの関係はより深みを増して行きます。こはくから投げかけられた言葉、その言葉を発するこはくの表情を見た心愛の中に徐々に変化が生まれ始め、やがて心愛は自分を変えるべく、様々な行動を起こして行きます。
物語は意外な展開を含みながらも、心愛とこはくの関係の深化、そして心愛と母親、心愛と杏の関係の変化を描き出して行きます。弱気の自分と闘いながら、自分の生きる道を見出して行く心愛の姿には強く胸を打たれ、物語の結末には清々しさも感じることができます。
本作品の重要人物であるこはくのボクシングに打ち込む生き様には、他者にどう思われようと、何を言われようと構わない、自分は自分の道を進むのみ、という気迫に満ちた強さが感じられます。家庭でも学校でも自分を出せず、特に学校では「ただ教室にいるだけで、悪意の糸にからめとられる」(P.136の13行目から14行目)といった感覚にとらわれていた心愛にとって、こはくが心の救世主であったように、こはくというキャラクターからは、同調圧力が横行しがちな現代において、それに屈せず生きる価値を認識して欲しいという著者からのメッセージが強く感じられます。
登場人物それぞれの個性が色濃く描かれていることで、物語の世界にスムーズに没入することができ、読後には充足感と爽快感を存分に味わうことができる傑作です。6年生はもちろん、読書好きな5年生にもぜひ読んで頂きたい一冊です。
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