中学入試の国語は大人への架け橋

日頃、親御さんから志望校の国語の過去問を見てみたところ、大人のものの見方が含まれている文章が出題されているけれども対処できるものか心配ですというお話をうかがうことがあります。中学の国語の教科書や高校受験対策の問題集を見ていると、中学入試で出題されたのとまったく同じ文章が載っているのを意外なほどよく目にします。確かに、小6の受験生は中学生以上の生徒が読み考え学ぶに足るような深い内容の文章に、早い段階で向き合うということも事実です。今回は、近年の有名中学の読解問題の要旨をいくつかまとめてみました。そこから大人っぽい問題の一端を見てみたいと思います。

■(麻布中2007年)浅田次郎 『霞町物語』より「青い火花」

祖父は、明治生まれの昔堅気で傲慢な江戸っ子の写真師である。新しい時代の要請で都電が廃止になることが決まり、都電の運転手の順ちゃんが制服姿の記念写真を撮りに来るが、老いて腕の衰えた祖父は撮影に失敗した。愛する都電の最後をかざる花列車の姿を撮ることは祖父の写真師人生の総決算だが、祖父は都電が霧の中を全速力でかけぬける難しい位置で撮るといってきかない。しかし出来上がった写真は驚くほど見事なものだった。祖父が周りのことがわからなくなった頃に父は祖父が望む感情のある写真を撮るがしばらくして祖父は息をひきとった。

■(品川女子2010年、2回) 石田衣良 『再生』より「火を熾す」

定年退職して5年の光弘は、公園で焚火の世話のボランティアをしている。自立神経失調症で事務機器メーカーを休職中の青年治朗や不登校の壮太は、公園で光弘の作業を手伝ううちに次第に癒されていく。「…光弘は不思議だった。自分の目から見ると筋のよさそうな人間ほど、不登校だったり、長期休職をしていたりするのだ。今の日本で人並みに普通の組織に籍をおくのは、それほど困難なことなのだろうか。もう自分は一生組織の世話にならないだろう。それがありがたくもあり、治朗や壮太にはすまない気にもなった。…」

問い「治朗や壮太にすまない気にもなった」のはなぜか、説明しなさい。」

■(光塩女子2010年1回) 重松清『かわいげ』

二年前に母親を亡くした小4の石川フミは、父の再婚で石川マキと姉妹になり、新しい母とマキと生活を始めてひと月になる。フミが新しい友達と捨て猫のゴエモン二世にエサをやって抱き上げると、マキはフミたちの自分勝手を激しくなじって猫が逃げた茂みに石を投げた。帰宅したフミは涙のあとがあるのをお母さんに気付かれ、マキのことを、知らない六年生の女子に置き換えて事件を話す。お母さんは自分に味方をしてくれると期待したが、母はその女の子は自分が最後まで面倒を見られないものには中途半端なことをしちゃダメだということを言っていて、「甘えて寄ってくる猫を抱っこしてあげるのも優しさだけど、わざと追い払って、人間の怖さを教えてあげるのも優しさ」だとやさしく諭した。フミにどちらの優しさが正しいのかと問われると母は「正しいことって、一つきりじゃないのよ」とおとな同士愚痴をこぼし合うように笑った。

■(浦和明の星2004年1回) 猪口邦子「パールハーバーの授業」

ブラジルのアメリカンスクールに通う私は、大好きな歴史の先生の授業が第二次世界大戦にさしかかることを恐れていた。教科書に、パールハーバーの奇襲攻撃を、日本が悪魔的な世界征服の野心と狂気をもって、自由と正義を体現するアメリカに愚かな戦いを挑んだとあるためだ。クラスでただ一人の日本の子として祖国批判の矢面に立たされることに苦しみ学校を休もうとするが、先生は授業で、資源の乏しい日本が立たされた経済的苦境触れるなどし、ただ一人の生徒のために教科書と大幅にちがう授業を行った。先生は、多くの原因があって起きる戦争を単一原因論に短絡させるのは歴史への暴力だと説き、私はかつてないほどパールハーバーを真剣に考える気持ちになった。日本非難の矢面に立たずにすんだことに安堵する子供の私の中に、国際関係の複雑な絡み合いを解明し平和にかかわる仕事を夢見るもうひとりの私がめばえていた。

近年の出題文では、登場人物の人生や心情をリアルに描いた、厚みのある内容を持った文章の出題が増えてきています。麻布と品川女子の問題例では、物語の時代は違いますが、真面目に歩んできた善意ある大人が、老いや社会の大きな流れといった、自らの努力でいかんともしがたいことのまえで、自分の位置を他に譲り渡すしかなくなるという悲哀が細やかに描かれている点で共通するものがあります。
学校というと、子供たちに努力の尊さを教え、とかく明るく積極的な言葉を投げかける所というイメージがありますが、近年の中学入試では精一杯努力すればその分成功を勝ち得て幸せになれるのだといった単純な世界観が成り立たないところで展開していく、いわばにがさのある文章の出題が増えており、注目に値します。そして、困難な状況の中でただ悲嘆するのではなく、なんとかして現実との折り合いをつけ傷ついた魂を再生し、自分なりの歩みをはじめるといった心のドラマを描いた作品が出題文に多く見られることも顕著な傾向です。

あらゆる点で先行き不透明であると言わざるを得ないこの時代に成長しいずれは自分の力で世の中を渡っていかねばならない子供たちには、あらかじめ明快に整理された物語に現実をあてはめてみせるだけでは不十分であるのかもしれず、どのような状況にあっても現実から目をそらすことなく、自分なりの人生のストーリーを模索できるような強さとしなやかさを持ってほしいという中学校側の願いが、国語の出題文選びにあってもあらわれている結果ではないでしょうか。

光塩女子、浦和明の星の問題では、判断や価値の基準が単純でない事がらが扱われており、複雑さに耐えるような思考力を促す要素があるといえる問題です。どちらも等身大の子供の視点で描かれてはいますが、子供の単純な世界観を脱け出し、大人の世界へと歩み出す子の心の成長を描きます。読者が子供であれば、共に大人の世界へといざなわれていくような内容です。光塩女子では、あなたが「正しいことって、一つきりじゃない」と、感じたり考えたりした経験を二〜三行で書きなさいという作文があり、浦和明の星でも「私」のどのようなところが「子供の部分」といえるのですか。分かりやすく答えなさい。と問われています。記述力も求められています。

こうした大人っぽい問題文でも、隅々まで大人と同様にとらえられなければならないということでは勿論なく、受験生はあくまで問いに解答できればよいのですから、いたずらに心配する必要はありません。しかし、普段の生活の中で、学校生活や友人関係で体験する出来事や、テレビ番組、テストや塾のテキストで出会う文章など、いろいろな物事に対して、お子さんの前で大人の思うことを口に出してあげるのは有効な対策となります。ご自身が評価的な感想を持たれることがあれば、そう感じた理由までも積極的に口に出してあげることも有効な対策となります。その際お子さんに理解できそうな語彙や内容をあえて少し踏み越え、大人ならでは浮かぶ表現や物事の捉え方を示してあげるようにするとよいでしょう。これは、お子さんが幼児期から気軽に実践できる教育方法ですが、確実に国語の力を高めることができます。また普段の学習においては、大人が横について指導できるときには、お子さんがひとりで学習するときに取り組むものよりも一段大人っぽい内容の問題にチャレンジしてみることをお勧めします。本文の流れを、問題で問われていないことにまで触れながら、ああでもないこうでもないと大人と子供がそれぞれの意見を言い合って時間をかけて読み味わう学習を定期的に設けた結果、文章への対応力が飛躍的に伸びたケースもあります。

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